レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/9/18
- 登録日時
- 2016/09/29 00:30
- 更新日時
- 2016/09/30 18:58
- 管理番号
- 2016-0003
- 質問
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解決
茶道が越中に入ってきたプロセスを知りたい。
- 回答
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『富山県史 通史編 4 近世 下』(富山県)に「茶の湯」で項目が載っていたため提供し、『加賀の茶道』(北国出版社)と『とやま茶人のこころ』(富山新聞社)を参考に見てもらった。その後の調査で『図説茶道大系2』(角川書店)にも「茶の広がり」という項目があること、また『富山の茶室』(桂書房)には「越中の茶の湯」という項目が掲載されており、越中の茶道に関する記述が確認できた。そのほか参考資料に挙げたものもみるが関連する記述は見あたらなかった。
- 回答プロセス
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1.郷土資料のT791資料および県史から探す。
『富山県史 通史編 4 近世 下』(富山県)に「茶の湯」の項目があり、「特に家元的文化ともいえる茶の湯・生け花は、都に登り免許を得て帰郷、しかるのち地方に広めたこと、また宗家からの出張教授などが契機となって、寛政期から流行し始め、文化・文政期に最も流行をみた」と記述が確認できる(pp.858-9)。
『とやま茶人のこころ』(富山新聞社)は、新聞に連載された記事をまとめた資料。「江戸時代においては茶の湯をたしなんだのは、公家、大名やその重臣たち、豪商などであった。茶の湯は大切な教養のひとつであり社交の場だったのである」とある(p.6)
『加賀の茶道』(北国出版社)の目次をみると、「宗湛日記にみる前田利家と高山南坊の茶会」「前田利家と御茶堂片岡家」となっていたため、こちらも関連資料として提供する。
後日行った再調査にて、『図説茶道大系 2』(角川書店)には、「茶の広がり」という項目があり、「藪内流でも、時代が少し下るが、最も多数の門人を数える越中(富山県)の高岡・富山・城端などについで、播州(兵庫県)の赤穂、その他岡山・倉敷・玉島・笠岡・尾道・三原・広島など、主として山陽道の沿線や、四国・九州などにまで普及していったのである」という記述が確認できた。
また、『富山の茶室』(桂書房)には、「越中の茶の湯」という項目があり、富山藩の茶道についての推測や越中への茶の湯の伝播について記述が確認できる。
そのほか、『極』(淡交社)、『富山市史通史』上下巻(富山市)、『富山大百科事典』(北日本新聞社)、『富山県大百科事典』(富山新聞社)をみるが、これらの資料には記述なし。
2.インターネットから探す。
Google,レファレンス協同データベースで<茶道>、<茶の湯>、<越中>、<富山>等のキーワードで検索するが、該当する記述は見当たらず。そのほか、大日本茶道会や今日庵といった茶道関係団体のHPを確認するが、該当する記述は見当たらず。
- 事前調査事項
- NDC
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- 茶道 (791 9版)
- 参考資料
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- 1 富山県史 通史編 4 近世 下 富山県/編 富山県 1983年 T209/ト/2-4 pp.858-6 茶の湯
- 2 加賀の茶道 牧 孝治/著 北国出版社 1983.4 T791/マコ
- 3 とやま茶人のこころ 富山新聞社 2006.3 T791/ト/2006 4-8330-1467-X
- 4 図説茶道大系 2 角川書店 1974 791/ス/2 pp.208-9
- 5 富山の茶室 池端 滋/写真 高林 和子/解説文責 富山 桂書房 1987年 T791/イ pp.267-78 付章二「越中の茶の湯」
- 6 極 原田/一敏?監修 MIHO MUSEUM?企画・編集 淡交社 2016.6 T791.5/ハカ/2016 978-4-473-04094-7
- 7 富山市史 通史 上巻 富山市/編 富山 富山市 1987年 T232/ト/2-1
- 8 富山市史 通史 下巻 富山市/編 富山 富山市 1987年 T232/ト/2-2
- 9 富山県大百科事典 富山新聞社大百科事典編集部/編 富山新聞社 1976年 T031/ト
- 10 富山大百科事典 上巻 富山大百科事典編集事務局/編 富山 北日本新聞社 1994年 T031/ト/1
- キーワード
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- 茶道
- 越中
- 茶の湯
- 照会先
- 寄与者
- 備考
-
http://www.chado-kentei.com/ 今日庵
http://www.santokuan.or.jp/ 大日本茶道会 (いずれも2016/08/20確認)
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000197473