レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年02月11日
- 登録日時
- 2010/02/11 14:43
- 更新日時
- 2010/03/04 15:44
- 管理番号
- 山形県-2008-0030
- 質問
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解決
一時期、米沢藩重臣直江兼続の養子となり、直江勝吉と名乗っていた「本多政重」について、関連する資料があればタイトル、著者名を教えてほしい。
- 回答
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下記の資料にお探しの直江勝吉に関する記載がありました。
1.「米沢市史近世編1」P171『直江大和守勝吉は本多佐渡守正信の次男左兵次である。・・』P652~655「初期の鉄砲術」の項中、『慶長の初期に導入された鉄砲術は稲富流、田付流、種子島流の三派で、田付流は兼続の養子直江勝吉によって伝えられた』とあります。
2.「正伝直江兼続」P198~204に『本多政重との関係』の項があり、経緯が詳しく記載されています。
3.「直江兼続とその時代」P221~227『本多政重との関係』の項で、養子縁組から直江家を去り、加賀前田家の家老となったあとも、親密な交際が続いたと記載されています。
4.「上杉景勝伝」P139『鉄砲術田付流」師範であったこと。』P140~173『第3節老中本多正信の厚意』の項で上記同様の記載があります。
5.「直江兼續傳」中、P609~660『第6章兼続と本多正信及び本多政重』
6.「直江山城守」中、P238~242『大和守勝吉』
7.「直江兼続伝」中、P395~399『養子本多政重』
この5.6.7の資料でも養子となってから米沢を去るまでの記載があります。
8.「上杉家御年譜三」P241で直江家の養子となったときの、P331に直江家を去るときの、それぞれの記載があります。
9.「上杉鉄砲物語」中、P86~94『慶長九年という年』の項で、政重が田付流の砲術を極めていたことなどの記載があります。
また、米沢市上杉博物館で開催した下記の二つの特別展の資料で、直江兼続が本多政重とやり取りした書状(国宝「上杉文書」)の写真、解説文が載っています。
「上杉景勝」(特別展)「直江兼続」(企画展)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (281 9版)
- 東北地方 (212 9版)
- 参考資料
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資料①米沢市史近世編1/米沢市史編さん委員会編/米沢市/1991(K274.1/ヨネ/2)
資料②正伝直江兼続/渡辺三省著/恒文社/1999(K289/ナオ)
資料③直江兼続とその時代/渡辺三省著/野島出版/1980(K289/ナオ)
資料④上杉景勝伝/小野栄著/米沢信用金庫/2001(YK289/ウエ)
資料⑤直江兼續傅/木村徳衛著/木村益子/1969(YK289/ナオ)
資料⑥直江山城守/福本日南著/歴史図書社/1980(K289/ナオ)
資料⑦直江兼続伝/渡部恵吉〔ほか〕著/米沢信用金庫/1989(YK289/ナオ)
資料⑧上杉家御年譜三/米沢温故会編/1976(K288.3/ウエ/3)
資料⑨上杉鉄砲物語/近江雅和著/国書刊行会/1976(YK270/オオ)
資料⑩上杉景勝/米沢市上杉博物館/2006(K289/ウエ)
資料⑪直江兼続/米沢市上杉博物館〔編〕/2007(K289/ナオ)
※( )は自館の請求記号です。
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資料①米沢市史近世編1/米沢市史編さん委員会編/米沢市/1991(K274.1/ヨネ/2)
- キーワード
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- 直江兼続
- 直江勝吉
- 本多政重
- 米沢藩
- 上杉景勝
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000063095