レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年10月07日
- 登録日時
- 2010/10/07 18:59
- 更新日時
- 2018/10/12 18:31
- 管理番号
- 11995
- 質問
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解決
『庵治町史』(岩田実太郎/編 庵治町 1974年)〔当館請求記号:K2333 I1〕の後編町内案内 7島々 大島の項に、「「讃岐の国屋島の北百歩ばかりに島あり、名づけてあわ島という。」とこれは讃岐風土記の文だといい、九州からの帰りに、「百伝う八十の島みをこぎ来れど、あわの小島し見れど飽かぬも」と柿本の人麿がよんだというこの大島は、・・・」(364頁)とあるが、それぞれの出典を知りたい。
- 回答
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1 「讃岐の国屋島の北百歩ばかりに島あり、名づけてあわ島という。」
『新編日本古典文学全集 5(風土記)』(植垣節也/校注・訳 小学館 1997年)〔当館請求記号:9180 S4 1-5〕
逸文 <讃岐の国>
阿波嶋 屋嶋
アワシマトハ、讃岐国。屋嶋北去百歩許、有嶋。名曰阿波嶋トイヘリ。
(仙覚「万葉集註釈」第四、四・五○九番歌条<仁和寺本>)(584頁)
なお、『国史大辞典 12』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1991年)の「風土記」の項(306頁)によれば、 風土記の逸文は、
平安時代以来、古典注釈書、歌学書、神道書などに引用されて伝わった断片を指すとのこと。
「万葉集註釈」については、『新編日本古典文学全集 5(風土記)』巻末の「逸文」所収文献解題に、『仙覚抄(せんがくしょう)』とも。『万葉集』に
新点を施した仙覚(1203~没年未詳)による『万葉集』の注釈書。 文永六年(1269年)4月2日成立とある。(629頁)
一方、『風土記逸文注釈』(上代文献を読む会/編 翰林書房 2001年) 〔当館請求記号:9132 J1〕に、「讃岐の国屋島の北百歩ばかりに
島あり、名づけてあわ島という。」の収録はなかった。
『風土記逸文注釈』の「はじめに」では、「本書で注釈や復元を試みたものは、元明天皇の命に基づいて、各国において編纂されたいわゆる
「和銅風土記」(古風土記)の逸文である。ところが、従来「逸文」として採集・登録されてきた多くの資料の中には、はたして「古風土記」の
逸文であるのかどうか、弁別困難なものが多く含まれている。たとえば、『帝王編年記』所載の「伊香小江」「竹生島」の説話など、はなはだ
魅力的なもので、おそらく上古の時代にさかのぼる説話であろうと推測するものではあるが、それが「古老の伝」ではあっても「古風土記」の
逸文であることの徴証が見当たらないとして、本書には収めなかったのである。」とある。
2 「百伝う八十の島みをこぎ来れど、あわの小島し見れど飽かぬも」
『新編日本古典文学全集 7(万葉集2)』(小島憲之/〔ほか〕校注・訳 小学館 1995年)
〔当館請求記号:9180 S4 1-5〕
万葉集巻第九 歌番号1711 (404頁)
なお、『新編日本古典文学全集 7(万葉集2)』巻末の「地名一覧」の粟島(あはしま)・粟の小島(あはのこしま)の項では、歌番号1711の「粟
の小島」の所在を明確にしていない。(502~503頁)
- 回答プロセス
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1については、当館がレファレンス協同データベースに登録している管理番号:6238の「風土記 逸文の中で、讃岐国の屋島についての記述を知りたい。参考図書を知りたい。」を参考にし回答。
2については、Googleで検索したところ万葉集の歌であることが判明し、『新編日本古典文学全集』で掲載箇所を確認した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 8版)
- 小説.物語 (913 8版)
- 詩歌 (911 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 風土記逸文
- 万葉集
- 大島(庵治町)
- 『庵治町史』
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000072106