レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20180516
- 登録日時
- 2018/12/22 00:30
- 更新日時
- 2018/12/22 00:30
- 管理番号
- 福参-1103
- 質問
-
解決
小倉百人一首の成立に関してと、それがどうして競技かるたに結びついたのかについて知りたい。
- 回答
-
●小倉百人一首の成り立ちについて
◆参考資料1『日本大百科全書』19 p.704
「定家の日記『明月記』の文暦二年(一二三五)五月二七日条に、定家がその子為家の舅の宇都宮頼綱(蓮生)から依頼されて、その嵯峨中院山荘の障子に貼るために(中略)歌人の歌を色紙に書いて贈った、とある記事が『小倉百人一首』の成立に関連深いものとされ、それが『小倉百人一首』そのものの成立を示すという説と、その草稿本といわれる『百人秀歌』(『小倉百人一首』と九七首が一致。後鳥羽院と順徳院の歌は含まない)をさすという説とがある。
の記述あり。
以下の資料に同様の記述あり。
◆参考資料2『百人一首』 p.2
◆参考資料3『百人一首大事典』 p.6
◆参考資料4『だれも知らなかった<百人一首>』 p.8-14
「一 百人一首はいつどのように成立したか」について記述あり。
◆参考資料2『百人一首』 p.1
「「小倉百人一首」は、はじめは写本として限られた人々の間で伝えられていましたが、江戸時代には版本の刊行によって書道の手本や教養書などとして巷間に流布していきます。」
の記述あり。
●競技かるたについて
◆参考資料5『日本大百科全書』5 p.902
「かるた会」の項より
「平安時代から上流社会で行われた貝合が、のち木札を用いるようになり、江戸時代の貞享年間(一六八四~八八)京都の松葉屋から厚紙に木版で刷った歌がるたが売り出されるに及び一般に普及した。(中略)明治になって一対一で行う競技方法が生まれ、研究団体などもでき、黒岩周六(涙香)により、一九〇四年(明治三七)萬朝報主催の第一回競技会が開かれた。(中略)第二次世界大戦後は、全日本かるた協会主催により、六一年(昭和三六)から毎年一月の第二土曜日に、名人位・クイーン位決定戦が催されている。」
の記述あり。
以下の資料に同様の記述あり。
◆参考資料6『百人一首の世界』 p.19
◆参考資料7「小倉百人一首を学ぶ人のために」 p.269-271
「競技かるた―その歴史と現状」について記述あり。
◆参考資料4『だれも知らなかった<百人一首> p.164-165
「競技かるた略年表」あり。
◆参考資料8『萬朝報 復刻版』 第46巻 明治37年2月11日 3面
「小倉百人一首 かるた會」の廣告あり。
◇参考URL「一般社団法人全日本かるた協会」
(http://www.karuta.or.jp/index.html 最終確認2018.11.28)
「競技かるたの歴史」について掲載。
- 回答プロセス
-
1 日本大百科全書を調査 参考資料1・5を確認。
2 自館OPACより「百人一首」で検索。書架をブラウジング。
参考資料2・3・4・6・7が見つかる。
3 参考資料7に『萬朝報』に広告掲載の記述あり。
参考資料8が見つかる。
4 参考資料4に「全国かるた協会設立」の記載あり。インターネットで検索。
参考URL1が見つかる。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 詩歌 (911 8版)
- 参考資料
-
- 1 日本大百科全書 19 小学館 1988.1 031/R/70-19 p704
- 2 百人一首 さいたま文学館/編集 さいたま文学館 2016.1 911/147/79 p1-2
- 3 百人一首大事典 吉海 直人/監修 あかね書房 2006.12 911/ヒヤク/ p6
- 4 だれも知らなかった<百人一首> 吉海 直人/著 春秋社 2008.1 911/147/58 p8-14・p164-165
- 5 日本大百科全書 5 小学館 1985.8 031/R/70-5 p902
- 6 百人一首の世界 林 直道/著 青木書店 1986.5 911/147/24 p19
- 7 小倉百人一首を学ぶ人のために 糸井 通浩/編 世界思想社 1998.10 911/147/41 p269-271
- 8 萬朝報 復刻版 第46巻 3704号~3794号(明治37年1月~明治37年3月) 日本図書センター N//74 明治37年2月11日3面
- 1 一般社団法人全日本かるた協会 http://www.karuta.or.jp/ 最終確認 2018.11.28
- キーワード
-
- 小倉百人一首 藤原定家 百人秀歌 黒岩周六 黒岩涙香 競技かるた 全日本かるた協会
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000248991