レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2017/08/02 11:19
- 更新日時
- 2017/11/14 15:39
- 管理番号
- 2017-11
- 質問
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解決
若尾瀾水(わかおらんすい)の『手帖から』を読みたい。 安岡 章太郎著『流離譚(新潮社 1993)』p459~460に一部分が掲載してある。p451に“俳人若尾瀾水が池内真造という人の自伝から有隣(注:富永有隣のこと)に関するところだけを抜粋して編纂した小冊子”とあり、それを指すものと思われる。
- 回答
- 回答プロセス
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(1)以下のOPACを確認したが所蔵が見当たらなかった。
・愛媛県立図書館蔵書検索及び横断検索
・高知県立図書館蔵書検索及び横断検索
・国立国会図書館サーチ
・CiNii
・日本の古本屋
(2)『若尾瀾水句集(風蘭社 1994)』の年譜(p335~356)によると、昭和8年(1933・57才)高知新聞にて11月14日から8回連載されたことが記されている。(p351)
(3)『若尾瀾水俳論集 子規の死とその前後(高知市民図書館 1967)』の年譜(p401~412)でも、昭和8年(1933・57才)高知新聞にて11月14日から8回連載されたことが記されている。(p410)
- 事前調査事項
- NDC
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- 詩歌 (911)
- 文学史.文学思想史 (902)
- 参考資料
- キーワード
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- 富永 有隣(トミナガ,ユウリン)
- 若尾 瀾水(ワカオ,ランスイ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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富長有隣は、文政4年 - 明治33年、江戸時代末期(幕末)の長州藩士・儒学者。諱は徳、後に悳彦。通称は弥兵衛。有隣は字で、『論語』の「徳は孤ならず必ず隣あり」から命名したとされる。
若尾瀾水は、吾川郡弘岡下ノ村(現・高知市春野町)生まれ。子規門下であったが、子規没直後、「子規子の死」を発表、その子規批判の論考で排斥を受け俳壇から失脚。帝大卒後は郷里に帰り、俳誌「海月」を主宰するなど地方詩壇に復活し後進の指導に尽くした。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000219727