レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年04月14日
- 登録日時
- 2016/04/14 15:39
- 更新日時
- 2017/05/16 12:29
- 管理番号
- 18516
- 質問
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小豆島出身の俳人で「無物」という名前の人がいるか?
- 回答
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各町の町史を確認したところ
『内海町史』(K2341/U1/2)
※p350に無物の記述があった。五十嵐梅夫夫妻が選句した句集に載っている島の俳人17名のうちの1人。名前のみで、詳しい記述はない。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 詩歌 (911)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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(関連情報)
・二条家俳諧考-宗匠仏朔(竹内 千代子)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009751760
※注13
無物は、 飯田氏。 名は豊年。 俗称は新兵衛。 法名は、 光誉无物照顕居士。 明和六年生。 文政三年二月二二日没。
寺中徳寿院。 現在は、 墨田区横川一‐ 三‐ 二三に移転、 徳寿院として 独立してい るが、 墓碑は喪失。
前、 上方を遊歴後、 文政元年に病を得て牛島に閑居。 俳諧は葛飾三世素丸門、 柴田蛙水の 取立。 墓所は、 本所霊山
稽に遊んで祖翁の 道をしたひ終に葛飾の 門に入」 ( 无物句集) とい う。 江戸は本所北割下水に住、 小豆島、 高野山、 備
と表記。 「 葛飾の 郷縦川の 汀二三の あはひ一藩にうまれ弓馬の い とま滑稽にしふかく」 「 官袴の 衢より出しかど常に滑
享年五二歳。 初号は野蒿亭雪竃。 後、 葛庵無物と改める。 庵号は桂庵とも表記する。 文政元年三月、 剃髪して无物
無物は、 上方に遊歴、 文化六年刊『 花供養』 に「 小豆島無物」 、 同年刊『 四時行』 に「 小豆シ マ 無物」 の 入集が知られ、 「 小豆
また文化一三年『 胖
と盛んに交流したもの と推察される。 なお、 一茶の 句帖「 株番」 は文化九年頃の 成立とされるが、 こ こ に「 高野にありて 」 と、
洲ヨ リ」 の 万海宛無物書簡も存する。 その 他の 綾部連宛の 無物書簡や綾部連との 連句懐紙が存し、 こ の 頃に万海ら綾部連
あぐら
日記』 には「 備前」 とする無物の 句が記されて い る。
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000191142