レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年10月1日
- 登録日時
- 2017/05/10 18:50
- 更新日時
- 2018/05/22 13:56
- 管理番号
- 990
- 質問
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解決
赤穂浪士の大高源吾と俳人の鬼貫は交流があったのか。
- 回答
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大高源吾が出版した句集『二つ竹』に、源吾が鬼貫宅で一泊したこと、お互いの俳号を詠み入れた交換句を作ったことが書かれており、交流はあったと思われる。
- 回答プロセス
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・『忠臣蔵四十七義士全名鑑』(中央義士会/監修、小池書院)p.172「大高源五忠雄」の項を引く。
「俳句が得意で、子葉と号す」
「俳人」
「句集『二つ竹』を出版。当代俳壇の大家(略)鬼貫などそうそうたる俳人が句を寄せ」
・書架で鬼貫関連の本を探す。
『上嶋鬼貫』(桜井武次郎/著、新典社)p.141に大高源吾の来訪のことが書かれていた。
元禄十四年秋、大高源吾が故郷に帰っていた知人を見舞い、その帰りに伊丹に来て鬼貫のところで一泊したこと、
その折に両人が「かく山を引ツたてて咲しをに哉」(子葉/大高源吾)、「月はなし雨にて萩はしほれたり」(鬼貫)と句を詠んだこと
『二ッの竹(二つ竹)』の中にそれが記されていること
が分かる。
・『文学碑をたずねて』(菊池靜二/編、伊丹市文化財保存協会)p.107に句の解釈あり。
源吾の句「山を一段と際立たせるようにしてその頂上に咲いているしおに―紫苑、そのように、そびえ立つ伊丹俳壇の頂点として他の草を圧しているしおに―鬼貫であるよ」
鬼貫の句「今夜は折あしく、さす月影もなく、萩は雨に打たれて、ぐったりと生気を失ってしお(子葉)れていることだ」
源吾の句『しをに』が鬼貫、鬼貫の句『しほ』が子葉(大高源吾)を指しており、鬼貫の目には源吾が長年の苦労でくたびれてみえたのかもしれない
と解説されている。
以上より、大高源吾と鬼貫に交流があったことは確かだと思われる。
※伊丹市立博物館より情報提供。
・『伊丹市史 第6巻』(伊丹市史編纂専門委員会/編、伊丹市)p.23に大高源吾(子葉)が伊丹に来て鬼貫家を来訪した記述がある。
・『伊丹文芸資料(伊丹資料叢書1)』(岡田利兵衛/編、伊丹市役所)P.387、432には「『俳諧二ッ竹』子葉(抄)」として『二ッの竹』の抄出や解説もある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 詩歌 (911 8版)
- 日本史 (210 8版)
- 参考資料
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- 上嶋鬼貫
- 文学碑をたずねて
- 忠臣蔵四十七義士全名鑑
- キーワード
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- 上嶋鬼貫
- 大高源吾
- 照会先
- 寄与者
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- 伊丹市立博物館
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000215821