レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2005/06/14 20:20
- 更新日時
- 2019/03/08 14:27
- 管理番号
- 宮崎県立般138
- 質問
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解決
佐土原歌舞伎について調べたい。
- 回答
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佐土原歌舞伎は佐土原城下の商人町で発達し1693年頃から戦前まで農業の傍ら農作業の合間をぬい行われてきた。明治以降は九州一円を巡業していた。
①『宮崎県大百科事典』(百科/031/20)には、「佐土原歌舞伎」の項に解説あり。青山幹雄著。(p400)
②『佐土原町史』(佐土原町 昭和57年)(M書庫219641/1)の文化の項にも佐土原歌舞伎について記載がある。(p863~867)
明治末には嵐富三郎一座、市川筆三郎一座、藤川宗三郎の三座があった。出し物は時代物が主であった。
③『佐土原土人形の世界』(青山幹雄/著 鉱脈叢書 1994年)(M書庫7599/32)には、佐土原人形の歌舞伎人形についての解説の中で、佐土原歌舞伎について、人形を通した著者の考察とともに、せりふ帳やかけ小屋について記載がある。(p105~190)
④『部落解放史宮崎 第2号』(宮崎県同和教育研究協議会部落史研究専門委員会 1989年)には、部落史研究専門委員会による「日向の芸能 佐土原歌舞伎」と題した論文があり、慶賀と呼ばれる人々が佐土原歌舞伎をつくりあげていったこと、1693年歌舞伎見物が禁止されたこと、後許可を得、定期的な公演を行うようになったこと、もともとの祈祷的な講演から渡世的な職業的講演を行うようになったことなどについて記載がある。※参考文献の記載もある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 歌舞伎 (774 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 佐土原歌舞伎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000022232