以下の資料を紹介した。
〈書籍〉
・『大日本蚕糸会百年史』大日本蚕糸会 1992年
p.300に記述あり。
・『テレビ快男児』藤田潔 著 プレジデント社 2009年
p.11~33 第1章 昭和28年、東京ヴィデオホールの「現場力」
p.34~43 【対談】渡辺貞夫さん 古き良き昭和三十年代ジャズの楽屋裏
対談の中に、東京ヴィデオホールの話題が出てくる。
・『寄席楽屋帳』三遊亭円生 著 青蛙房 1976年
p.193 「その次は、昭和三十二年三月三十一日、やはり落語研究会の主催で『落語まつり大歌舞伎』と称して催しました。第四次落語研究会は、…(略)…次の十二月、第七十五から、有楽町の東京ヴィデオ・ホールで開催することになりました。この落語まつりの芝居も、やはりヴィデオ・ホールでやりましたもんでございます。」と記述あり。
p.196 「それから困ったのは、あのヴィデオ・ホールってえとこは、お湯がないんですよ。」と記述あり。
〈新聞記事〉
・朝日新聞 1953年11月8日 朝刊8頁
「ヴィデオ・ホール完成 スタジオ不足に一役」という見出しの、写真付き記事あり。
・日本経済新聞 2003年1月26日 朝刊27頁
「『復活コント55号』の笑いの味 『もがけば何か出る』今も」という見出しの記事に、
「…ところが、コント55号は結成二カ月後にいきなり銀座の日劇(現在のマリオン)に進出。…(略)…収録場所の今は亡き有楽町・ビデオホール(ニッポン放送の隣)には朝から行列ができた。…」と記述あり。
・読売新聞
読売新聞記事検索データベース「ヨミダス歴史館」明治・大正・昭和1874~1989の検索画面で「ビデオ・ホール」をキーワードに検索すると、公演案内の記事が表示される。
〈雑誌記事〉
・『放送評論』1954年4月号 p.26~27
赤岸幸輔「東京ヴィデオ・ホール」
国立国会図書館デジタル化資料送信サービスで閲覧可能。