以下の資料を紹介した。
『埼玉の画家たち』水野 隆/著 さきたま出版会 2000年
p80~ 林倭衛
p85 昭和十六年、終の栖となる浦和の別所沼畔、稲荷台にアトリエを構えた。
p145~ 里見明正
p145 …浦和町の別所沼畔に隣り合ってアトリエを構え制作していた。
『林倭衛』小崎 軍司/著 三彩社 1971
p214 そこで、一九四一年(昭和十六年)春三月、父母といっしょに住むことにして埼玉県浦和市在住の別所沼のほとりの稲荷台に移った。
『埼玉新聞縮刷版 1986年09月号』
p389 9月29日 歴史人物風土記(169)別所沼を愛した画家 洋画家 林倭衛(与野市)
その生涯の最後の四年間を別所沼畔の与野市大戸に住み、…
『さいたま市の歴史と文化を知る本』青木 義脩/著 さきたま出版会 2014年
p162~163 林倭衛と須田剋太
林倭衛は昭和一六年(一九四一)に北足立郡与野町大戸字稲台(現・中央区大戸)に住んだ。諸書には、浦和市別所稲荷台とか浦和市の別所沼畔の稲荷台などと記されたりしている。
『開館記念展1 浦和画家とその時代』うらわ美術館/編 うらわ美術館 2000年
p146 林倭衛 41(昭16)年から浦和市郊外の別所稲荷台に画室を構える。
『夢のひろがり 別所沼・ヒアシンスハウス』ヒアシンスハウスの会「夢のひろがり」刊行委員会 2007年
p56~61 別所沼に棲む絵画きたち
p56 林倭衛は昭和十六年に別所沼のほとりの稲荷台(りそな銀行の研修所周辺の高台)に越してきた。
p28~29 与野町に編入された別所沼の西側の大字大戸の稲荷台には、昭和一六(一九四一)年に林倭衛が移り住んでくる。
『埼玉人物事典』埼玉県教育委員会/編集 埼玉県 1998年
p653~654 はやし しずえ 昭和16年から浦和市別所稲荷台に住む。
p382 さとみ あきまさ 住所に関する記述はなし。
『里見明正展』里見明正/画 熊谷市立熊谷図書館 2012年
里見明正略年表 昭和10年(1935)この年の秋より昭和20年までさいたま市(旧浦和市)別所沼畔に在居。
「戦前期の浦和における宅地化の進捗とアトリエ村の形成」安野 彰 渡邊 愛 窪田 美穂子/著『学術講演梗概集. 計画系 』p339-340, 2002年
http://dspace.bunka.ac.jp/dspace/handle/10457/1045 (最終確認:2016年2月4日)
表3 大正期~昭和期にかけて浦和に在住していた画家 に3人の名前が挙がっている。