レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20180627
- 登録日時
- 2019/03/26 00:30
- 更新日時
- 2020/03/24 18:16
- 管理番号
- 中央-2018-31
- 質問
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解決
日本橋の麒麟像に関して、モチーフとなった麒麟や制作の経緯、作者を知りたい。
- 回答
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日本橋の麒麟像の製作経緯等が記載されている資料や、インターネット上で見られる論文は次のとおり。
なお、東京都公文書館ホームページの以下のページに、麒麟像の製作者や経緯が簡単にまとめられている。
「日本橋の麒麟(きりん)像-当館ホームページのロゴ画像について」東京都公文書館
(http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0717nihonbashi.htm)
これによると、装飾の設計を妻木頼黄、製作を東京美術学校に委嘱(製作主任は同学校の助教授の津田信夫)、獅子と麒麟の原型製作を渡辺長男、鋳造を岡崎雪聲が担当したとある。
資料1は、現在架けられている日本橋が完成した時の記念誌。工事に関わった人たちの回顧録が掲載されている。麒麟像等の装飾に関する記事は以下のとおり。
p.143-150「新日本橋の装飾」妻木頼黄著
p.171-173「橋上装飾の製作」津田信夫著
p.175-179「装飾原型の作成」渡邊長男著
p.181-183「獅子と麒麟」岡崎雪馨著
麒麟像のモチーフについては、p.182-183に「(麒麟像の)参考品の乏しきには、殆んど困りました。神社仏閣の麒麟にかゝる彫刻にも、麒麟は稀でありまして、何處に有名の作品が有ると云ふでもなし、先づ探幽とか元信などの謄写せしもの、又は訓蒙図絵位なもので、彫刻物では九段の靖国神社の前にある鈴木長吉氏作、青銅燈籠の腰巻に造られたる麒麟などが、最も参考品として有力な方でありました。」と記載されている。
資料2のp.154-165に「第三章 獅子と麒麟」があり、装飾の製作経緯がまとめられている。麒麟像のモチーフについては、資料1と同内容のことが書かれており、口絵に「麒麟参考品(一)」、「麒麟参考品(二)」として、写真が掲載されている。
資料3のp.62-79に「日本橋『開橋』」枝川公一著があり、1911(明治44)年の開橋式や日本橋改築の経緯がまとめられている。麒麟像については、p.77-78「獅子と麒麟」に記載されている。
p.78には、「この麒麟像が置かれる中心柱は、里程元標として機能するので、「(中略)満を持して登ろうという意気込み」が必要となった。(中略)この感じを表現するため、(中略)翼と鰭(ひれ)の二種類の模型が製作された。やはり、関係者が集まって検討の結果、鰭のほうが「おもしろかろう」との意見が優勢であった。(中略)こうして、鰭つきの麒麟が誕生する(後略)」との記述あり。
[インターネット上で見られる論文]
「妻木頼黄と日本橋の装飾(1):土木技師、彫刻家との協同における「建築家」の役割」(金山弘昌著)
『日本橋学研究』2巻1号 日本橋学館大学 2009.3 p.31-46
(https://ci.nii.ac.jp/naid/110008802942 最終確認日:2018年7月2日)
装飾に関する責任者の妻木頼黄を中心に、製作経緯が記載されている。
[調査したデータベース]
・CiNii Articles(国立情報学研究所)
・MAGAZINEPLUS(マガジンプラス) (日外アソシエーツ)
・雑誌記事索引集成データベース ざっさくプラス (皓星社)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 彫刻 (710 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】日本橋記念誌 / 安藤安編 / 日本橋記念誌発行所 , 1911 <T/33・25/3>
- 【資料2】日本橋志 開橋記念 / 東京印刷株式会社編 / 東京印刷 , 1912 <0921/T7279/N>
- 【資料3】日本橋 架橋80周年記念誌 / 村田長兵衛[ほか]編集 / 名橋「日本橋」保存会 , 1992 <T/33・20/20/92>
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000253713