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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000097523
提供館
(Library)
吹田市立中央図書館 (2310124)管理番号
(Control number)
吹-80-2016-015
事例作成日
(Creation date)
2011年12月8日登録日時
(Registration date)
2011年12月08日 17時09分更新日時
(Last update)
2017年03月30日 10時46分
質問
(Question)
1)昔、アサヒビールが吹田の工場からビールを舟で出荷していたそうだが、その時の水運会社の名前、一度に運んでいた量、期間(どれくらいで行き来していたか)が知りたい。
2)吹田の渡し・過書船(かしょぶね)との関係は?
回答
(Answer)
1)に関しては、吹田市立図書館の資料にはなく、吹田市立博物館とアサヒビールにも問い合わせたが、そちらにも資料が無く、わからなかった。

(1)『Asahi100』(アサヒビール株式会社社史資料室/編 アサヒビール 1990)
p120,216に水運についての記述はあるが、質問に答えられる様な詳細な記述はなし。

(2)『研究紀要第44号 吹田の歴史学習資料集』(吹田市立教育研究所 1979)
p45の記述は少し詳しいので、以下に必要部分を記す。

「製品は当時、48本入り木箱を1ケースとし運搬には可成り重い物であり、取り扱いにも注意しなければならず、運送作業が重要な課題でもあった。自動車の無かった時代で牛馬による荷車(馬力)輸送が中心であった。明治7年大阪―神戸間、明治9年京都―大阪間の鉄道開通(吹田駅は明治9年設置)による以後の鉄道利用と、神崎川の水運利用が解決策であり、特に神崎川水運は重要な役割を果たしていた。醸造所から搬出された製品は、工場から神崎川新田浜倉庫まで軽便軌道上を牛・馬により4,550mをひかれ、そこで「はしけ」に積み替えられて神崎川を下り、一旦大阪湾口に出て更に堀江川(堀江倉庫へ)、横堀川(横掘倉庫へ)、堂島川(梅田倉庫へ)をさかのぼり川沿いの夫々の倉庫に送りこまれたのである」

(3)『すいたタイムス』連載記事に記述があったので、主なものを以下に記す。
昭和60年9月5日
「アサヒビール100年史 3 吹田工場、水運の歴史」に
大日本麦酒株式会社吹田工場製品運搬河川経路見取図 昭和2年4月当時、があり。

昭和61年10月15日
「アサヒビール100年史 24 麦酒の運搬荷役」に
1.明治25年の創立当初は、各個人が仕事をし、その後大きくなり組となっていった。
2.明治30年頃に吹田合同運送店が誕生し、浜本組は船運送に携わった。
と、記述あり。
なお、昭和61年10月25日
「アサヒビール100年史 25 麦酒の運搬荷役(その2)」には
昭和10年、吹田合同運送が解消したとある。

昭和62年1月25日
「アサヒビール100年史 27 水運の歴史(1)」と
昭和62年3月15日
「アサヒビール100年史 28 水運の歴史(2)」に
水利関係の記録について記述あり。

2)に関しては、吹田市立博物館によると直接の関係はないとのこと

「アサヒビールの吹田村醸造所の起工が明治23年(1890)、明治8年(1875)に吹田の渡しは廃止になったので、関係性はない。
過書船は、近世の過書座支配下の川舟のことなので、これも直接の関係性はない。」
回答プロセス
(Answering process)
「アサヒビール」を当館の検索機で検索する。

(1)のp120~121「京阪市場と吹田―交通の要地」に水運での輸送の記述はあるが、p120の「昭和11(1936)年まで水運の活用が続いた」とある以外質問に答えられるような詳細な記述はなし。

「水運」を当館の検索機で検索する。
『近世淀川水運史料集』(日野照正/編 同朋舎 1982.12)は、近世の資料なので、過書船関係の資料のみ。

図書館所蔵の地域資料を調査。

・アサヒビールに関しての記述
『吹田市史 第三巻』(吹田市史編さん委員会/編集 吹田市役所 1989)p125~134「大阪麦酒会社の創立」
(2)のp45「吹田とビール会社」

・吹田の渡し、過書船に関しての記述。
『吹田市史 第二巻』p126~127「吹田の過書船」p244~257「川舟仲間の紛争(p252~255に過書船方と渡し舟との争い)」p374~381「諸川舟の動向」
『吹田市史 第三巻』のp72に渡し船と橋の記述あり。
(2)のp27~28「吹田の渡し」「過書船」p43~44「神崎川と吹田」


吹田市立博物館に問い合わせる。
1)に関しては博物館にも資料は無いとの事。
2)に関しては直接の関係はないとのこと。

アサヒビール吹田工場に問い合わせたが、お客様係りを紹介され、そちらより資料室に調査をお願いしてもらった。資料室にもそのような資料は無いとの回答。
『すいたタイムス』に「アサヒビール100年史」という連載をしていたが、そこに水上輸送の記述はあるが、ごく簡単なものとのこと。(昭和60年9月5日、昭和61年10月15日、昭和62年1月25日、3月15日)
事前調査事項
(Preliminary research)
『ビールが村にやってきた』(吹田市立博物館/編集 吹田市立博物館 2008.10)p16「水陸運輸の便」
『旧吹田史跡めぐり』(旧庄屋屋敷保存活用会/編集 旧庄屋屋敷保存活用会 1997)p6「吹田渡口跡」
質問の際に利用者が持って来られた吹田市立図書館所蔵の資料。
NDC
内陸水運.運河交通  (684 8版)
食品工業  (588 8版)
近畿地方  (216 8版)
参考資料
(Reference materials)
アサヒビール株式会社社史資料室 編 , アサヒビール株式会社. Asahi 100. アサヒビール, 1990
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002091904-00
吹田市立教育研究所/編集. 研究紀要 第44号. 吹田市立教育研究所, 1979
キーワード
(Keywords)
アサヒビール
水運
過書船(かしょぶね)
吹田の渡し(すいたのわたし)
淀川(よどがわ)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
吹田市立博物館
アサヒビール株式会社お客様相談室
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
・吹田の渡し
対岸から対岸へと貨客を運ぶ横渡し船で、現在の上高浜橋から、対岸の新庄町(上新庄町)、小松(小松北通り)あたりにかけて渡し場があったと考えられている。(『研究紀要第44号(吹田の歴史学習資料集)』吹田市立教育研究所 p27)
この渡しは、昭和8年12月に上高浜橋の架橋によって廃止されることになった。

・過書船(かしょぶね)
中世では海関・川関通行免許の過書を持つ船つまり関料免除の船の汎称だが、近世では淀川水系で貨客の輸送に従事した過書座支配下の特定の川船をいう。(『日本交通史辞典』丸山雍成/編 吉川弘文館 2003 p198)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000097523解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
未解決
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