レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/2/11
- 登録日時
- 2017/03/16 00:30
- 更新日時
- 2017/03/16 00:30
- 管理番号
- C170205151744
- 質問
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解決
大阪‐鳥取間が鉄道でつながったのはいつか。また、『復刻版明治大正時刻表』以外の資料で、明治32年から明治45年にかけての大阪‐鳥取間の時刻表を探している。
- 回答
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・山陰線の開通
1912(明治45)年3月1日から香住‐浜坂間の営業を開始し、山陰線のうち京都‐出雲今市間が全線開通したことを示す資料として、資料1から資料4を紹介します。
・時刻表
山陰線の京都‐出雲今市間が全線開通した1912(明治45)年の時刻表の有無の確認を行いました。京都‐出雲今市間の全線開通以前は、大阪‐鳥取間の一般的な経路を判断することができないため、調査の途中で見つかった関連情報のみ紹介します。
『復刻明治大正時刻表』以外の資料で1912(明治45)年の時刻表が掲載された資料として、資料6を紹介します。また、1899(明治32)年から1912(明治45)年までの大阪‐鳥取間の時刻表に関連した情報として、資料2及び資料5から資料8を参考までに紹介します。
また、当時の雑誌の一部分に時刻表が掲載されている場合があるようです。国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/)で「時刻表」、「時間表」、「発着 時間」等のキーワードで検索して確認することができます。参考までにお伝えします。
また、鉄道博物館ライブラリーのホームページ(http://www.railway-museum.jp/zone/collection.html)によると、特別コレクションとして、明治期以降の時刻表を収集しているようです。参考までにお伝えします。
【 】内は当館請求記号です。末尾に「*」が付された資料は、国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/)に収録されており、インターネット上で公開しています。末尾に「**」が付された資料は、国立国会図書館デジタルコレクションに収録されており、国立国会図書館及び図書館送信参加館内で公開しています。末尾に「***」が付された資料は、国立国会図書館デジタルコレクションに収録されており、国立国会図書館内で公開しています。
インターネットの最終アクセス日は2017年2月8日です。
資料1 大蔵省印刷局[編] 『官報』 1912年02月23日 大蔵省印刷局,明治45 【YC-1】*
「告示」の「鐵道院告示第十二號」に、1912(明治45)年3月1日より香住‐浜坂間の鉄道運輸営業を開始する、という内容の記載があります。
なお、「国立国会図書館デジタルコレクション」の詳細検索で資料種別を「官報」にし、「キーワード」欄に駅名や「営業」等を入力して検索すると、その他の区間の営業開始日についても、一部確認することができます(確認できない区間もあります。)。
資料2 川上幸義 『新日本鉄道史. 下』 鉄道図書刊行会, 1968 【686.21-Ka828s】***
「第X編 山陰・福知山」(pp.274-291)の「第2章 明治39年‐大正9年の山陰・福知山線」(pp.282-286)の「3. 山陰線香住‐浜坂間開通まで」(pp.284-285)に、1912(明治45)年3月1日に浜坂‐香住間が開通し、これによって京都‐出雲今市間が開通した、という内容の記載があります。
なお、「第1章 明治20年‐39年の山陰線」(pp.274-281)の「6. 阪鶴鉄道の運輸」(pp.278-279)のp.278に「第44・3表 阪鶴鉄道時刻表 明治33年5月15日」が掲載されており、大阪発福知山着等の列車の発着時刻が記載されています。参考までに紹介します。
資料3 『週刊歴史でめぐる鉄道全路線国鉄・JR. no.14 (山陰本線)』 朝日新聞出版, 2009.10 【Y94-J10129】
pp.22-23に1877(明治10)年から1924年(大正13)までの山陰本線に関する年表があり、各区間の開業について通覧することができます。P.23の1912(明治45)年3月1日の項目には、浜坂‐香住間が延伸開業し、京都‐出雲今市間が全通した、という内容の記載があります。
資料4 兵庫県史編集委員会編 『兵庫県百年史』 兵庫県, 1967 【216.4-H9982h】**
p.497に「明治四十五年三月に全線が開通し、五月から山陰本線と称するようになった。」という記載があります。また、p.498に「兵庫県内明治時代鉄道開通図」が掲載されており、香住‐浜坂間は「45・3・1」と記載されています。
資料5 『鳥取県史. 近代 第3巻 (経済篇)』 鳥取県, 1969 【217.2-To575t2】**
「第九章 交通」(pp.736-777)の「第二節 明治後期の交通」(pp.745-755)の「ニ 山陰線の建設と開通」(pp.748-755)のp.752に、山陰線が1912(明治45)年3月1日に全線が開通した、という内容の記載があります。
なお、「第一節 明治前期の交通」(pp.736-745)の「四 海上交通の近代化」(pp.742-745)のp.744に、山陰線開通までの、境‐大阪間、米子‐敦賀間、米子‐舞鶴間の汽船航路について言及しています。参考までに紹介します。
資料6 『復刻版明治大正鐵道省列車時刻表』 新人物往来社, 2000.11 【DK111-G29】
「[4]. 列車時刻表 明治45年6月」のp.15に「第23表 京都・大社間主要驛」、p.16に「第27表 大阪・大社間主要驛及尼ケ崎池田間」が掲載されています。
なお、「[2]. 列車時刻表 明治43年5月 (英文併記)」のp.23及びp.26の「阪鶴線」に新舞鶴‐大阪間の発着時刻が記載されています。また、「[3]. 列車時刻表 明治44年10月 (英文併記) 」のp.10「東海道、山陽、九州線(附北陸、京都、阪鶴、播但線)聯絡時刻表」の「阪鶴線」に、大阪‐福知山間及び福知山‐新舞鶴間の発着時刻が記載されています。参考までに紹介します。
資料7 西庫太 『旅のつれづれ』 精美社, 明37.1 【34-258】*
「各鉄道時間表」の「八」から「九」に、「京都、大阪、神崎、福知山間」というタイトルの時刻表が掲載されています。参考までに紹介します。
資料8 喜賓会本部編 『全国汽車汽船発着時間及賃金表. 第5-6号』 喜賓会本部, 明35 【特51-991】*
英文表記の時刻表です。例えば第6号のp.82には「Kyoto, Osaka and Kanzaki to Fukuchiyama」、p.83には「Fukuchiyama to Kanzaki, Osaka and Kyoto」というタイトルの列車の時刻表が掲載されています。また、第6号のp.129には「Osaka‐Sakai」、「Osaka‐Maizuru」というタイトルの汽船の時刻表が掲載されています。参考までに紹介します。
(調査済み資料及びデータベース)
・今井七太郎 『汽車時間表 : 近畿名所独案内』 今井七太郎, 明27.3 【特53-664】*
・舞鶴市史編さん委員会編 『舞鶴市史』 舞鶴市, 1975 【GC158-11】**
・NDL-OPAC(https://ndlopac.ndl.go.jp/)
・国立国会図書館サーチ(http://iss.ndl.go.jp/)
・国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/)
・リサーチ・ナビ(http://rnavi.ndl.go.jp/rnavi/)(当館提供データベース)
・CiNii Books(http://ci.nii.ac.jp/books/)(国立情報学研究所提供データベース)
・CiNii Articles(http://ci.nii.ac.jp/)(国立情報学研究所提供データベース)
・J-STAGE(https://www.jstage.jst.go.jp/)(科学技術振興機構提供データベース)
・公益財団法人日本交通公社旅の図書館(https://www.jtb.or.jp/library?content_id=1)
・国立公文書館デジタルアーカイブ(https://www.digital.archives.go.jp/)
・京都府図書館総合目録(https://www.library.pref.kyoto.jp/cross/cross.html)
・鳥取県立図書館資料検索(https://www.library.pref.tottori.jp/winj/opac/search-detail.do)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『懐しの時刻表』2-5
- NDC
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- 鉄道運輸 (686 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 鉄道時刻表、山陰線
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000211899