次の資料に関連の記述を確認しました。
・『栃木県史 通史編5』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1984)
「第八章 商品流通の発達と交通運輸 第三節 河岸と舟運の変容 一 鬼怒川の新河岸」(p.347-361)の「8-59 近世中・後期の野洲各河岸の河岸」の表中に、「石法寺河岸」の記載があり、明治初年の河岸の問屋数・船数、明和~安永期の関係河岸改めの際の問屋数・株運上金額等が記載されています。(p.350)
また、「8-61 近世中・後期鬼怒川の河岸」の図中に「石法寺」の記載があります。(p.353)
・『真岡市史 第8巻 近現代通史編』(真岡市史編さん委員会/編 真岡市 1988)
「第3章 自由民権と初期議会 第4節 真岡の経済と殖産興業 3 交通の変せん」の「鬼怒川水運と河岸」の項に、石法寺河岸についての記述があります。(p.185-187)
・『真岡の歴史』(真岡の歴史編集委員会/編 真岡市教育委員会 1978)
「第四章 近世 第三節 真岡木綿 四 河岸の発達」の項に、石法寺河岸についての記述があります。(p.136-138)
・『栃木の水路』(栃木県文化協会/編 栃木県文化協会 1979)
「第二章 みちのくと江戸を結ぶ鬼怒川舟運 一 舟運と河岸」(p.124-145)の「河岸の成立」の項に、石法寺河岸の開設についての記述があります。(p.124-129)
同じく「河岸問屋」の項に石法寺河岸問屋野沢家についての記述があります。(p.129-133)
・『江戸とつながる川の道 近世下野の水運,平成26年度秋季企画展』(栃木県立博物館/編 栃木県立博物館 2014)
「第三章 下野の河岸と物流 第二節 鬼怒川の水運」の項があります。(p.37-50)
精読しておりませんが、p.46の「鬼怒川諸河岸蔵敷定」(安永3年)など、石法寺河岸に関係のある文書も掲載されていました。
絵図は、近い地域のものでは、「鬼怒川中流沿岸図」(江戸時代)が掲載されています。(p.47)
ただし、図中に石法寺河岸が掲載されているかどうかについては、図版が小さく判読できませんでした。