レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年04月13日
- 登録日時
- 2012/07/02 13:59
- 更新日時
- 2012/10/02 14:38
- 管理番号
- 埼熊-2012-071
- 質問
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解決
「宮中御養蚕」に関する次のものを見たい。
(1)明治4年に始めた「宮中ご養蚕事始」に関する資料
(2)宮中御養蚕の奉仕者だった島村の4人の蚕婦の往復の経路(参考になる地図も)
往路は利根の舟運を利用。復路は中山道を徒歩と人力車を利用。(宮中ご養蚕事始に出ていたとのこと)
(3)島村出身の「田島武平」に関する資料と武平氏の写真。(タジマ ヤヘイではない)
(4)田島氏と4人の蚕婦が宮中からいただいた品(三つ重ねの杯、タバコ入れ、タモト落し)の写真。
- 回答
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(1)明治4年に始めた「宮中御養蚕事始」に関する資料として下記のものを紹介した。
(2)島村の4人の蚕婦の名前はわかったが、往復の経路が明記された資料は見つからなかった。参考資料を紹介した。
(3)田島武平に関する記述と写真のある資料が見つかった。
(4)恩賜の品物の写真は見つからなかった。参考になると思われる資料を紹介した。
紹介した資料(番号が同じものは同一の資料)
(1)「宮中ご養蚕事始」について
①『日本蚕糸業史 1 総論・宮中御養蚕史・生糸貿易史』(大日本蚕糸会編 大日本蚕糸会 1935)
〈総論〉の別稿「宮中御養蚕史」に関連情報あり。p4-15〈明治4年(辛未)の宮中御養蚕〉の項あり。経緯・概要について記載あり。
②『渋沢栄一伝記資料 3』(渋沢青淵記念財団竜門社編 渋沢栄一伝記資料刊行会 1955)
p95-107 明治4年2月の項に「宮中御養蚕ノ濫觴」に関する記述および以下の記事あり。
p95-97 渋沢家所蔵「出がら繭の記」(昭和4年11月)に概要の記述あり。
p99-102『竜門雑誌 第497号』引用「宮中御養蚕の濫觴に就て(渋沢治太郎謹話)」に当時の概略あり。
p102-107『日本蚕糸業史 1 宮中御養蚕史」引用あり。前述資料①と同一内容。
③『渋沢翁は語る 其生立ち』(岡田純夫編 斯文書院 1932)p286-288「宮中の御養蚕」の節あり。
「田島武兵衛(ママ)」の名は出てくるが、その他の記述なし。
(2)島村の4人の蚕婦の往復の経路
①『日本蚕糸業史 1 総論・宮中御養蚕史・生糸貿易史』
p4-15〈明治4年(辛未)の宮中御養蚕〉の項あり。経緯・概要について記載あり。
奉仕者として選定された四人の夫人の名(田島太平妻た加48歳、田島伊三郎娘まつ17歳、栗原茂平娘ふさ20歳、飯島元十郎妻その28歳)や活動は記されているが、往復時の経路に関する記載はなし。
②『渋沢栄一伝記資料 3』
p95-107 明治4年2月の項に「宮中御養蚕ノ濫觴」に関する記述および以下の記事あり。
p102-107『日本蚕糸業史 1 宮中御養蚕史」引用あり。前述資料①と同一内容。
⑫『利根川の水運(歴史の道調査報告書 10)』(埼玉県立さきたま資料館編 埼玉県教育委員会 1989)
p7利根川水系の工事の年代と図「利根川の流路の変遷」あり。
p36図「利根川とその水系の河岸場分布図」あり。
⑬『中山道(歴史の道調査報告書 5)』(埼玉県立博物館編 埼玉県教育委員会 1986)
埼玉県内の経路はわかる。
⑭『宮中養蚕日記』(田島民著 高良留美子編 ドメス出版 2009)
質問の御養蚕の翌年明治5年の宮中御養蚕に奉仕した田島民の日記。年代が近いので、経路は参考になると思われる。
p15-23明治5年3月14日~17日 村を出立してから箱崎に到着するまで、船で下る様子が描かれている。
p113-115明治5年5月25日~27日 小柳町を出立してから島村までの経路が描かれている
(3)田島武平に関する記述と写真のある資料
①『日本蚕糸業史 1 総論・宮中御養蚕史・生糸貿易史』
p4-15〈明治4年(辛未)の宮中御養蚕〉の項あり。経緯・概要について記載あり。
田島武平についての記述と肖像写真あり。
②『渋沢栄一伝記資料 3』
p95-107 明治4年2月の項に「宮中御養蚕ノ濫觴」に関する記述および以下の記事あり。
p97-98 題額「田島武平君墓標」(大正元年11月)の内容記述あり。田島武平について、経歴詳細あり。
p98-99『雨夜譚会談話筆記 上』引用に、田島武平について「田島は群馬県の人で、渋沢喜作の妻「およし」の姉の「おしげ」の夫で、喜作と義兄弟に当る人」とあり。
p102-107『日本蚕糸業史 1 宮中御養蚕史」引用あり。前述資料①と同一内容。
④『めざせ日本の近代化 日本の産業育てた渋沢栄一 特別展』(埼玉県立博物館 2002)
p58-59 渋沢家略系図に「田島武平」(島村(群馬))の名あり。
⑤『徳川慶喜最後の寵臣渋沢栄一 そしてその一族の人びと』(渋沢華子著 国書刊行会 1997)
p194 田島武平の妻しげが渋沢栄一の従姉妹であると記述あり。
⑥『島村蚕種業者の洋行日記(境町史資料集 4(歴史編))』(境町史編さん委員会編集 境町 1988)
写真p18「ミラノで撮影した田島武平の写真」あり。前付 家系図に田島武平の生没年あり。住居図あり。
p161-162「田島武平の洋行旅中見聞日誌(第1・第2)」写真あり。
p166-234「田島武平洋行旅中見聞日誌」あり。
⑦『明治初期の日伊蚕糸交流とイタリアの絹衣裳展』(群馬県立日本絹の里 2001)
p18 1883年の島村における利根川の川形図あり(水運に利用したものと思われる)。
参考文献「利根川と蚕の村」(金子緯一郎 上毛新聞社 1979)(県内公共図所蔵)
p20-21 田島武平が設立した島村勧業会社についての記述あり。
p33 田島武平の肖像写真(ミラノにて)あり。
⑧『境町人物伝』(しの木弘明著 1975)
p141-143「田島武平」の節あり。p142に肖像あり。
宮中のご親蚕についての記述はあるが、蚕婦のルートや賞賜についての記述はなし。
⑨『蚕にみる明治維新 渋沢栄一と養蚕教師』(吉川弘文館 2011)
島村の養蚕についてp132-167「島村式蚕室の伝播」などに詳しい記述あり
p23「田島弥平・武平と蚕種業」写真なし。
「渋沢栄一と殖産興業」宮中養蚕に関する記述あり、四人の夫人の名前もあるが、往復の経路の記述なし。
⑩『人物・近世産業文化史』(田村栄太郎著 雄山閣出版 1984)
p82-98「養蚕新論を唱え宮中養蚕を指導(田島弥平・田口留兵衛)」の中で、p88-90に宮中養蚕指導について記述あり。
⑪『埼玉県蚕糸業史』(埼玉県蚕糸業協会編 埼玉県蚕糸業協会 1960)
p1361に〈田島武平〉の顔写真と経歴の記述あり。
(4)田島氏と4人の蚕婦が宮中からいただいた品の写真
①『日本蚕糸業史 1 総論・宮中御養蚕史・生糸貿易史』
p4-15〈明治4年(辛未)の宮中御養蚕〉の項あり。経緯・概要について記載あり。
「天杯」「煙草入れ」「袂入れ」の3点を御褒美として賜ったという記述はあるが、写真はなし。なお御賞賜の御書付には「三つ重御盃 一組 煙草入 一組 袂入 一」とあり。 p7 写真「明治四年奉仕者」に写っている4人の蚕婦が手に品物を持っている。恩賜品ではないかと思われるが不鮮明。
②『渋沢栄一伝記資料 3』
p95-107 明治4年2月の項に「宮中御養蚕ノ濫觴」に関する記述および以下の記事あり。
p102-107『日本蚕糸業史 1 宮中御養蚕史』の引用あり。前述資料①と同一内容。
- 回答プロセス
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蚕糸業史に関する資料や島村のある群馬県の歴史に関する資料、中山道・舟運に関する資料を調査した。
宮中と田島武平を取り持ったのが渋沢栄一であったことから、渋沢栄一に関する資料も調査した。
その他調査済み資料は次のとおり
『渋沢栄一と埼玉の近代 創業期の日本煉瓦製造株式会社』(埼玉県立文書館編 埼玉県立文書館 2011)
『埼玉県史研究 15』(埼玉県県民部県史編さん室編 埼玉県 1985)
『埼玉県史研究 17』(埼玉県県民部県史編さん室編 埼玉県 1986)p37-54「荒川舟運の聞き書き」大正の頃の平方(上尾)を中心としたもの
『雨夜譚 岩波文庫』(渋沢栄一述 長幸男校注 岩波書店 1984)
『近代の創造 渋沢栄一の思想と行動』(山本七平著 PHP研究所 1987.3)
『巨いなる企業家・渋沢栄一の全研究 日本株式会社をつくった男 PHP business library』(井上宏生著 PHP研究所 1983.7)
『明治あれこれ 新聞記事から見た近代群馬の明暗 みやま文庫 8』(相葉伸著 みやま文庫 1963)
パンフレット『渋沢史料館のご案内』出版年不明
『群馬県史 通史編 8 近代現代』(群馬県史編さん委員会編 群馬県 1989)p149「なお、島村の婦女子は、四・五・六・十二年の四回にわたり、全国を代表して宮中御養蚕に奉仕しているが、これも渋沢栄一の紹介で、田島武平・同弥平がその指導者として推挙されたためであった。」
『群馬県史 通史編 10 年表・索引』(群馬県史編さん委員会編 群馬県 1992)p287明治4.3. 佐位郡島村の田島弥平、宮中御養蚕の指図役を命じられる。p288明治5.3. 宮内省、島村の栗原茂平ほか12名の蚕婦を宮中の蚕児飼育に命じる。(水沼村新井鼎作ほか11名の工女も命じられる。)
『群馬県史 資料編 23 近代現代』(群馬県史編さん委員会編 群馬県 1985)
『境風土記』(しの木弘明著 境町地方史研究会 1969)p199-「養蚕と蚕種」の章あり。島村勧業会社についての記述はあるが、宮中ご養蚕についての記述はなし。
『近代地方民衆の諸相 民衆の自立と変転―蚕糸業を基盤に』(宮沢邦一郎著 上毛民衆史刊行会 1980)
『内陸の生活と文化』(地方史研究協議会編 雄山閣出版 1986)p279-「蚕種輸出の盛衰と島村勧業会社)の章あるが、宮中ご養蚕についての記述なし。
『渋沢翁は語る 其生立ち』(岡田純夫編 斯文書院 1932)p286-288「宮中の御養蚕」の節あり。「田島武兵衛」の名は出てくるが、その他の記述なし。
『養蚕を担った女たち』(大森かほる[著] 大森かほる 2010)
『近代養蚕業の発展と組合製糸』(平野綏著 東京大学出版会 1990)巻末索引には関連しそうな項目なし。本の内容は明治中期以降について書かれている。
『北関東地方史研究 生糸と人々のくらし』(富澤一弘著 日本経済評論社 2010)
『日本蚕糸業発達とその基盤 養蚕農家経営』(荒木幹雄著 ミネルヴァ書房 1996)
『群馬の養蚕 (みやま文庫86)』(近藤義雄編 みやま文庫 1983)
- 事前調査事項
- NDC
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- 蚕糸業史.事情 (632 9版)
- 参考資料
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- 『日本蚕糸業史 1 総論・宮中御養蚕史・生糸貿易史』(大日本蚕糸会編 大日本蚕糸会 1935)
- 『渋沢栄一伝記資料 3』(渋沢青淵記念財団竜門社編 渋沢栄一伝記資料刊行会 1955)
- 『渋沢翁は語る 其生立ち』(岡田純夫編 斯文書院 1932)
- 『利根川の水運(歴史の道調査報告書 10)』(埼玉県立さきたま資料館編 埼玉県教育委員会 1989)
- 『中山道(歴史の道調査報告書 5)』(埼玉県立博物館編 埼玉県教育委員会 1986)
- 『めざせ日本の近代化 日本の産業育てた渋沢栄一 特別展』(埼玉県立博物館 2002)
- 『徳川慶喜最後の寵臣渋沢栄一 そしてその一族の人びと』(渋沢華子著 国書刊行会 1997)
- 『島村蚕種業者の洋行日記(境町史資料集 4(歴史編))』(境町史編さん委員会編集 境町 1988)
- 『明治初期の日伊蚕糸交流とイタリアの絹衣裳展』(群馬県立日本絹の里 2001)
- 『境町人物伝』(しの木弘明著 1975)
- 『蚕にみる明治維新 渋沢栄一と養蚕教師』(吉川弘文館 2011)
- 『人物・近世産業文化史』(田村栄太郎著 雄山閣出版 1984)
- 『埼玉県蚕糸業史』(埼玉県蚕糸業協会編 埼玉県蚕糸業協会 1960)
- 『宮中養蚕日記』(田島民著 高良留美子編 ドメス出版 2009)
- キーワード
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- 蚕業-日本-歴史-明治時代
- 皇室
- 田島 武平(タジマ ブヘイ)
- 渋沢 栄一(シブサワ エイイチ)
- 蚕業-群馬県-歴史-明治時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000108078