レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年6月13日
- 登録日時
- 2016/09/24 17:01
- 更新日時
- 2016/10/01 17:27
- 管理番号
- 岩手-274
- 質問
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解決
富岡製糸場から盛岡の銀行に移った尾高惇忠が、盛岡でも養蚕を行っていたか確認したい。
- 回答
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明治13年、勧業試験場養蚕場を尾高惇忠に貸与した記録は残っているが、詳細は不明。
以下の資料を紹介する。
○『岩手県蚕糸業史』岩手県蚕糸振興協議会∥編・発行 1980年
⇒p106~「県営勧業試験所の設立」
“明治六年、岩手県では勧業政策の一つとして機業を興そうとし、これまで奨励してきた養蚕及び製糸と相俟って、これらの企業化をすすめるとともに勧業試験所を設立して、その普及に努めた。
(注)勧業試験場は、明治十三年養蚕場を庁下尾高惇忠に、製糸場は井上覚兵衛に貸与したものであるが、貸与後の実績については記録が無く、只、製糸場は焼失したといわれ、養蚕場の一部は昭和十四年頃(筆者記憶)まで残存していた。”
○『岩手銀行五十年史』岩手銀行∥編・発行 1984年
⇒p18~20「第3節 岩手県下の国立銀行 1.第一国立銀行盛岡支店の開設」
“同支店の初代支配人尾高惇忠は、第一国立銀行頭取渋沢栄一の従兄で、製藍の専門家でもあり、盛岡在任中、商法会議所長として商・工・農業の振興に尽力し、県内産業の発展に大きな功績を残した。ことに製藍・染業あるいは養蚕については、自ら教師となってその方法を伝授し、また、盛岡市内に遊息所を設けて主な商工業者と時折会合し、商工業の研究や時事問題の話し合いを行うなど、啓蒙運動に努めたのである。”
○『岩手県農業史』岩手県∥編・発行 1979年
⇒p1199~1202「第4項 内丸勧業場時代の養蚕奨励」
“養蚕場へ入所して伝習を受ける者が多く、明治8年から11年までに380名の就業者があったなど、養蚕事業改善の伝習は大きな効果を上げたので、13年以降はこれを民間に貸与して事業の継続をさせたのである。(初代富岡製糸工場長であり退職後、国立第一銀行盛岡支店長として来盛した尾高惇忠が借受けたのであるが、その後の詳細は不明である。)”
○『岩手県の蚕糸業』大日本蚕糸会岩手支会∥編・発行 1929年
⇒p11~34「(一)蚕糸業奨励施設及主なる事項」
“明治十三年 (一)、養蚕場を県下尾高惇忠に貸与す”
- 回答プロセス
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1、キーワード「尾高惇忠」でOPAC検索
2、養蚕に関する資料、岩手県の農業・産業資料を確認
- 事前調査事項
- NDC
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- 蚕糸業 (630)
- 日本 (281)
- 参考資料
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『岩手県蚕糸業史』岩手県蚕糸振興協議会∥編・発行 1980年
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001640417-00 (当館請求記号:K/630/イ5/1) -
『岩手銀行五十年史』岩手銀行∥編・発行 1984年
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001720456-00 (当館請求記号:K/338/イ2/6) -
『岩手県農業史』 岩手県∥編・発行 1979年
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001411401-00 (当館請求記号:K/612/イ1/2) -
『岩手県の蚕糸業』 大日本蚕糸会岩手支会∥編・発行 1929年
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I036245031-00 (当館請求記号:K/630/ダ1/1)
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『岩手県蚕糸業史』岩手県蚕糸振興協議会∥編・発行 1980年
- キーワード
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- 富岡製糸場
- 養蚕
- 尾高惇忠
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000197335