レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年08月23日
- 登録日時
- 2016/12/07 20:16
- 更新日時
- 2016/12/07 20:18
- 管理番号
- POLA-2016-027
- 質問
-
かじわらひさこの日本画(1951年の作品)の解説にあたり、日本でのマニキュアの普及度を知りたい
- 回答
-
正確な数字は不明。「マニキュア」ということばは大正時代には移入済み。一般的への普及は1960年代を伝える
- 回答プロセス
-
電話で可能な範囲の回答で可とのこと
チャイナドレスを着たモデルの女性がマニキュアをしているが、日本でのマニキュア発売はいつなのか、1951年当時、どのくらい普及していたのかを知りたい
↓
「マニキュア」ということばは大正時代には移入済み。一般的への普及は1960年代を伝える
業界資料(参考資料1)では1945年創業の株式会社TT化学研究所(オパレスク香粧株式会社前身)が1946年にはマニキュアの製造開始とあり。1951年であれば、入手は可能
かじわらひさこは女性のたしなみとして作品を制作した閨秀画家とのことなので、高価であったりめずらしい化粧品の入手は可能な身分とのことで、チャイナドレスの着用なども考えると、特別な場面設定としてマニキュアをつけた可能性は充分ある
- 事前調査事項
-
日本では江戸時代に爪紅を行っていたこと、現在「マニキュア」と言っているもの=ネイルエナメルがアメリカで塗装料から始まったことは調査済み
- NDC
-
- 油脂類 (576 9版)
- 理容.美容 (595 9版)
- 参考資料
-
- 東京小売粧報編集部編. 一九六四年業界二十年史 : 化粧品・石鹸洗剤・歯磨・雑貨・香料原材料・装粧品. 小売粧報, 1964.
- キーワード
-
- 化粧品
- マニキュア
- ネイルエナメル
- 照会先
- 寄与者
- 備考
-
電話問い合わせ
絵画作品はおそらく梶原緋佐子《花》(1951年)東京国立近代美術館蔵
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000201037