レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/05/26
- 登録日時
- 2010/08/06 02:00
- 更新日時
- 2010/08/06 02:00
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-100008
- 質問
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解決
仙台叢書の編集にも関わった「佐藤興二郎」氏のプロフィールを知りたい。
- 回答
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「佐藤興二郎」について記載があった資料をご案内いたします。
資料1
『宮城県姓氏家系大辞典』角川書店 1994【K288/カ9】p.353
「佐藤興二郎 さとうこうじろう(1869~1940)本吉郡御岳村(本吉町)に生まれる。『仙台藩製鉄史』の著者。本吉郡馬籠村(本吉町)を仙台藩製鉄発祥の地として紹介。『仙台叢書』の編集にも携わった。」
資料2
「仙台藩製鉄史」佐藤興二郎遺稿:『岩手史学研究』(復刻版第8巻)岩手史学会【P(C)212.2】所収
まえがきより引用
「佐藤興二郎著「仙台藩製鉄史」は五百字原稿用紙三八八枚の大著で、その子佐藤文雄氏によって所蔵されていたものである。(略)佐藤氏は宮城県本吉郡本吉町馬籠大柴の人で竜峰と号し、仙台藩の製鉄の創始者佐藤十郎左衛門佐渡の子孫で、先祖から伝来する史料を中心に多年仙台藩の製鉄史を研究され、昭和十五年本稿を完成され間もなく逝去された。(略)この紹介は著者の子息佐藤文雄氏のご諒解を得て行うものである。(森嘉兵衛)」
資料3
『本喰い蟲五十年』常盤雄五郎著 仙台昔話会 1956【K020/ト1】
p.118「郷土史談会」の項より引用
「この会は大正十年八月から昭和二年二月まで続いたが(略)同好の人々を勧誘した処、続々と同志者が集った。大正十一年七月の会員名簿には左の人々が載せられている。(略)佐藤興二郎(略)の諸氏以下六十八であった。(略)第二回は、大正十年九月四日午前九時より、北山輪王寺に於て開催され、特に佐藤興二郎氏所蔵品を陳列して縦覧に供した。書画典籍等実に三百余点の多数なものであった。当時佐藤氏は郷土の隠れた人々の書画墨蹟を蒐集する事に熱中して居たので、其の出品も頗る異色ある珍品揃いであったから、参観の人々を驚かした事は勿論であった。(略)かくの如く、世に知られたると知られざるとを論ぜず、その遺墨を隅なく捜索蒐集して、永久に保存せんとする精神は尊いもので(略)この精神の持主であったからこそ、仙台叢書発刊の企てが、佐藤興二郎氏の提唱に依って郷土史談会の席上で発議され、氏のなみなみならぬ努力の結果、遂に其の実現をも見た訳で、仙台郷土史会の礎石となった人、隠れた大恩人である。」
p.132「仙台叢書」の項より引用
「『仙台叢書』発刊のことを最も熱心に主張したのが、佐藤興二郎氏である。(略)その後佐藤氏は、阿刀田令造・小倉博両先生の協力を得て、仙台叢書刊行会を組織した。この会には役員として(略)佐藤興二郎氏が推されて理事長となり(略)」
資料4
『郷土史談会報』郷土史談会【PK201/キ】1-3,5-8所蔵(8が終刊)
「大正十一年七月三十日現在郷土史談会会員録」「郷土史談会会員姓名住所」として「佐藤興二郎 北六番丁」とあります。
なお、佐藤興二郎、今泉篁州による『大原左金吾伝』は上1・2・3及び中までがそれぞれ『宮城教育』宮城教育会 【PK370/ミ】の423・424・430・431号に掲載されております。こちらはマイクロフィルムで閲覧が可能です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 鉄鋼 (564 9版)
- 参考資料
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- 宮城県百科事典. 河北新報社/編. 河北新報社, 1982【K031/カ2/ウタ】:
- 仙台人名大辞書. 菊田 定郷/著. 続「仙台人名辞書」刊行会, 1981【K280/キ1-2/ウ】:
- 角川日本姓氏歴史人物大辞典 4. . 角川書店, 1994.7【K288/カ9/ウ】:p353
- 本吉町誌 1. 本吉町誌編纂委員会/編. 本吉町, 1982【K263.3/モ1/ウ1】:
- 本吉町誌 2. 本吉町誌編纂委員会/編. 本吉町, 1982【K263.3/モ1/イ2】:
- 岩手史学研究. 岩手史学会. 大和学芸図書, 【P(C)212.2/イ】:
- キーワード
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- 佐藤, 興二郎(サトウ, コウジロウ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000069875