レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/09/02
- 登録日時
- 2010/03/19 02:19
- 更新日時
- 2010/03/19 02:19
- 管理番号
- 08009
- 質問
-
未解決
明治25年以前、大阪商船の船である「佐波川丸(さばがわまる)」と「猪名川丸(いながわまる)」がそれぞれ海難事故を起こしたようだが、その詳細について知りたい。
- 回答
-
阪急電鉄中山駅近くに明治25年9月建立の「溺死者追弔位牌安置所」という碑が立っている。その碑には百貫丸、佐波川丸、猪名川丸の3隻の船の名が記されており、そのうち百貫丸については、1888年3月18日に兵庫県の鹿ヶ瀬沖で火災、焼失したことが分かっている(①p.48)。しかし、残りの2隻、佐波川丸と猪名川丸については、①にも海難の記載がなく、どのような事故であったのか知りたいとのことであった。
なお、①によれば「佐波川丸」は明治23年5月進水、「猪名川丸」は明治23年3月進水で、碑の建立が明治25年であることから、事故は明治23年~25年の間に起こったものと考えられる。
明治20年代の海難について書かれているものは、当館の資料にはなかった。
当館所蔵の海難審判録のうち最古のものは②だが、記載なし。③も明治30年から大正4年までの収録なので、明治20年代はカバーしていない。
インターネットで検索したところ、神戸市文書館の「神戸又新日報(こうべゆうしんにっぽう)明治ニュース散歩」というデータベースがヒットした。
明治から昭和にかけて発行された新聞「神戸又新日報」に、佐波川丸の海難についての記事が載っているらしい。
明治25年1月24日3面2段-3段「佐波川丸乗組人の死体」
明治25年1月24日3面3段-4段「佐波川丸遭難者の直話」
ネット上では記事そのものは閲覧できないので詳細は判らないが、この記事が掲載された直前に事故があったのではないかと推測される。
神戸市文書館で閲覧できる旨を質問者に伝えた。
「猪名川丸」についてはインターネット上でも情報は得られなかった。
追記(2009.1)
④に、「宝塚における海難者の碑石」(若林泰,p.64-65)という記事あり。ただし、内容は碑石がどのようなものかということと、著者の見解が述べられているのみであり、事故の詳細については記載がない。
なお、④では佐波川丸が佐渡川丸と記されているが、①にも佐渡川丸という船はないため、佐波川丸の誤植であると思われる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 海洋開発 (558 7版)
- 参考資料
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- ①「船舶史稿 第5巻 大阪商船船舶史(上巻)」船舶部会「横浜」編・発行 1990年(M.2210/Se55)
- ②「審判裁決録 明治34年分」商船学校校友会発行(RM.072/Sh55/1901)
- ③「遭難船舶一覧」海軍省水路部編・発行 1918年(558.8/So41 利用はマイクロフィルム)
- ④「海事史研究」第33号 日本海事史学会発行 1979年10月
- キーワード
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- 海難
- 海運史
- 大阪商船
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000065347