レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018.2.19
- 登録日時
- 2018/02/19 08:19
- 更新日時
- 2018/03/31 15:41
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中-郷土-108
- 質問
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解決
平安京にあった羅城門(らじょうもん)について知りたい。
- 回答
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羅城門は,平安京の中心を南北に通る朱雀大路の南端に,正門として設けられていました。庶民も通行していましたが,天皇行幸や賓客が入京する時に通るといった,都の表玄関として象徴的な存在でした。【資料2・5】
大きさについては諸説ありますが,間口7間(約35.7m),奥行き2間,2階建てで高さ70尺(約21m),5か所の扉を有する巨大な建物でした。【資料1・2・4】
白い壁に朱塗りの柱,入母屋造(いりもやづくり)と呼ばれる瓦ぶき屋根,その両端を緑釉(りょくゆう)の鴟尾(しび)で飾られた,非常に豪華な門であったと推察されています。【資料4】
教王護国寺(東寺)には,羅城門にあったとされる毘沙門天像や三彩鬼瓦などが現存しています。【資料2・5】
弘仁7年(816)と天元3年(980)に風雨などで倒壊し,再建もされましたが,治安3年(1023)には倒壊した状態であったようで,以降再建はされていません。【資料1~5】
羅生門の推定場所は,現在の京都市南区唐橋羅城門町にある花園児童公園付近とされ,4度の発掘調査が行われていますが,はっきりとした遺構は見つかっていません。【資料2・3】
平安京の正門という存在でありながら,西南部地域の荒廃を象徴する建物として,古くは『御伽草子』,『今昔物語』,『宇治拾遺物語』や謡曲『羅城門』など,また芥川龍之介『羅生門』といった説話や文学の題材となっています。【資料4・6~10】
- 回答プロセス
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●“羅城門”“平安京”で当館所蔵資料を検索。
【資料1】大きさ,倒壊,葬地になったことについて記述あり。
【資料2】大きさについて詳しい羅城門の模型写真あり。
【資料3】大きさ,発掘調査について詳しい。模型と「羅城門遺址」石碑の写真あり。羅城門調査位置図あり。
【資料10】羅城門が舞台の文学作品に詳しい。
●【資料2】で紹介されている『復元と構想』で京都府立図書館所蔵資料を検索。資料内容を確認すると「大林組/編著」となっており“大林組”で当館所蔵資料を検索。
【資料4】全般的に非常に詳しく,復元図や写真も多数掲載あり。
●平安京に関する資料を確認。【資料5】
●国立国会図書館サーチで“羅城門”を検索。
【資料6】主に文学に出てくる羅城門について記述あり。
●“門”で当館所蔵資料を検索。
【資料7】1960年頃の「羅城門遺址」石碑の写真あり。
●史料にみえる羅城門を【資料8・9】で確認。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 近畿地方 (216 9版)
- 日本の建築 (521 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『平安京提要』(古代学協会/編 古代学研究所/編 角川書店 1994)p303
- 【資料2】『よみがえる古代京都の風景』(梶川 敏夫/著 三星商事印刷 2016)p20「羅城門」
- 【資料3】『平安京』(京都市文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課 2014)p62「(8)羅城門」
- 【資料4】『よみがえる古代大建設時代 巨大建造物を復元する』(大林組プロジェクトチーム/編著 東京書籍 2002)p184~206「想定復元平安京の羅城門」
- 【資料5】『京都千二百年 上』(西川 幸治/著 草思社 2014)p20「羅城門」
- 【資料6】『歴史の旅 京都』(渡会 恵介/著 秋田書店 1975)p63~66「大江山と羅城門」
- 【資料7】『古都の門』(中村 直勝/文 葛西 宗誠/写真 淡交新社 1967)p209「羅城門」
- 【資料8】『古事類苑[44]居処部』(吉川弘文館 1979)p199「羅城門」
- 【資料9】『広文庫 第20冊』(物集 高見/著 広文庫刊行会 1925)p142「羅城門」
- 【資料10】『京都魔界紀行』(志村 有弘/編著 勉誠出版 2000)p28「羅城門」
- キーワード
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- 羅城門
- 平安京
- 建築物
- 門
- 京城門
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000230912