レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年03月15日
- 登録日時
- 2018/06/14 16:46
- 更新日時
- 2018/06/15 15:16
- 管理番号
- 京歴-392
- 質問
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解決
平安時代の京都にあった「一条堤」について知りたい。
- 回答
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『テキスト文化遺産防災学』(①)に「平安京・京都の洪水と旱魃」という章があり(片平博文、pp.43-63)、そのp.51に「鴨川の洪水の及んだ地域」という表がある。そこでは、長治二年五月十一日(1105/7/1)に「御堂方、一条北堤付近」で洪水があったとの記載があった。①の出典である『大日本古記録 殿暦2:自長治元年七月至天仁元年十二月』(②)には一条北方堤の語が記されているが、場所等は記載されていなかった。
『文化遺産防災学 「ことはじめ」篇』(③)に、古代や平安時代の鴨川の洪水について記載があった(高橋学「古代における鴨川の洪水」pp.107-114、片平博文「京都を襲った歴史時代の洪水」pp.115-127)。
p.124には、一条堤が破れて藤原道長の屋敷である上東門第(土御門第)に鴨川の水が入ったため、破れた一条堤の修築が長徳4(998)年に行われたことが記されている。またp.125には、一条堤が破れると真っ先に洪水の被害を受ける位置に土御門第があったことが書かれている。土御門第の位置は、『京都市の地名』(④)p.556によると、現在の京都御苑内大宮御所の北部分(当時の土御門大路と京極大路の交差点の南西)である。
「京都歴史災害研究18」所収の片平博文氏の論文「貞和五年(1349)における堀川および鴨川の洪水」(⑤)p.1に、一条堤が賀茂川・高野川合流点近くにあったことが書かれている。
なお、③のp.126には、表「鴨川堤の破損等に関する記録」が掲載されている。被害のあった堤・年月日・出典史料が書かれており、一条堤、一条北堤に関する記述がある史料が紹介されている。
①②の「一条北堤」と③の「一条堤」が同じものであるかは、特定できなかった。
- 回答プロセス
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当館の蔵書検索システムで「平安京△災害」を検索してヒットした①を調べた。
①の出典である②と、開架書架で①の隣に配架されていた③を調べた。
インターネットで「一条堤」を検索し、雑誌論文⑤を見つけた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 河海工学.河川工学 (517)
- 参考資料
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① 立命館大学「テキスト文化遺産防災学」刊行委員会 著. テキスト文化遺産防災学. 学芸出版社, 2013.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024334216-00 , ISBN 9784761525491 (当館請求記号:||709||R48||) -
② 東京大学史料編纂所/編纂. 大日本古記録 殿暦 2 自長治元年7月至天仁元年12月. 岩波書店, 1963.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I038445256-00 , ISBN 4000095366 (当館請求記号:||210.088||D25-T5||12-2) -
③ 立命館大学文化遺産防災学「ことはじめ」篇出版委員会 著 , 立命館大学. 文化遺産防災学 「ことはじめ」篇. アドスリー, 2008.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009545744-00 , ISBN 9784900659919 (当館請求記号:||709||R48||) -
④ 京都市の地名. 平凡社, 1979. (日本歴史地名大系)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I065244816-00 (当館請求記号:K1||291.62||H51||) - ⑤ 立命館大学COE推進機構編 立命館大学歴史都市防災センター編 京都歴史災害研究会編.京都歴史災害研究.立命館大学COE推進機構 (当館請求記号:||キヨウ||K)
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① 立命館大学「テキスト文化遺産防災学」刊行委員会 著. テキスト文化遺産防災学. 学芸出版社, 2013.
- キーワード
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- 一条堤
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000237200