例えば次の所蔵あり。
・備讃の海に橋を架けよ 大久保〔ジン〕之丞の四国開発のロマン 大倉一夫/著 財田町役場 1988.3
※p.34-42「三、ブルックリン橋と架橋発想のヒント」
p.34「写真12 宝物殿に保管されているブルックリン橋の絵馬」
p.38「写真14 絵馬堂に飾られているブルックリン吊橋の絵馬(「歴史のなかの橋とロマン」より)」
・瀬戸大橋架橋史 通史・資料編 瀬戸大橋架橋史編さん委員会/編 瀬戸大橋架設推進香川県協議会 1989.4
※p.33-36「第二節 最初の提唱者 大久保諶之丞」
・SHIKOKU ようこそ四国へ スティーヴ・マカーティ/著 美巧社 1993.10
※p.64に大久保諶之丞が金刀比羅宮に奉納されていたブルックリン橋の写真を見て、本四架橋を構想したのかもしれない、といった内容あり。
・本州四国連絡橋のはなし 長大橋を架ける 交通ブックス 藤川寛之/著 交通研究協会 2002.8
※p.1-2に大久保諶之丞がブルックリン橋ができたというニュースを知っていたのかもしれない、といった内容あり。
・四国にバカがいた : 四国新道物語 財田幸五郎 著. 文芸社, 2014.10
※p.184「この作品は、事実をもとに創作したものです。」とあり。
p.50-51に諶之丞が金刀比羅宮でブルックリン橋の絵馬を見る話あり。
(関連記事)
高知新聞HP
・結ぶ(10)第2部 「県是」の歩み<1> 【先覚者】土佐の交通王も提唱
次の記述あり。
「・・・一方、瀬戸大橋の提唱者とされているのが、香川県議会議員だった大久保諶之丞である。
明治二十二年五月二十三日。中川が建議案を提出する二十五年前、讃岐鉄道(丸亀-琴平間)の開通式で大久保は、喜びに沸く参列者を前にこう祝辞を述べ、アッと驚かせた。
「塩飽(しわく)諸島を橋台として、架橋連絡せしめば、常に風波の憂いなく、南来北向、東奔西走瞬時を費やさず、それ国利民福これより大なるはなし」
この開通式の二カ月前、金刀比羅宮に奉納された一枚の絵馬には、当時世界最長のつり橋だったニューヨークのブルックリン橋が描かれている。アメリカ興業から帰国した足芸軽業師一座の座長が奉納していることから、洋行土産に持ち帰ったのではないかと伝えられている。
大久保はこの絵馬を見て、讃岐から本州に橋を架けることを発想したのではないかと言われる。・・・」