・ web検索サイト「google」で“岡山県機械金属指導所”と入力して検索をしたところ、検索結果のひとつに「岡山県工業技術センター」のHPがある。その中の「沿革」のページに、下記のとおり、記載がある。
1918年(大正 7年) 4月 岡山市弓之町に岡山県工業試験場を設立
1961年(昭和36年) 4月 岡山県機械金属指導所、岡山県備中織物指導所、岡山県児島繊維指導所を改組統合
1976年(昭和51年) 4月 窯業指導所、児島繊維指導所、井原繊維指導所、い製品指導所を廃止,名称を岡山県工業技術センターと改称
・上記を受け、岡山県工業試験場発行の『創立50周年記念誌』(資料①)を確認すると、「戦後、業界は平和産業の復興に努力したが、新技術の導入、指導の必要性から公設指導機関の設立が要望され、〔昭和〕23年4月24日,敷地250坪を(財)職業協会が寄付、25年5月12日、告示第296号によって“岡山県機械金属指導所”が設立された」とあり、昭和25年5月12日~41年4月1日までの同所に関する略年表が掲載されている。
事業内容については、「第3編 業務」に、「(1)依頼業務」、「(2)試験研究業務」、「(3)技術指導業務」、「(4)講演会,研究会の開催」などに、業務活動が記載されている。
・資料①の後継である『岡山県工業技術センター創立75周年記念誌』(資料②)には、下記のような記載がある。
「かねて岡山県陸用内燃機関工業協同組合の一部で業務を行っていた岡山県機械金属指導所は,昭和28年3月、岡山市東島田に庁舎を新設移転し、漸次施設を整備,業務を拡大した。」とある。
「県では早くから,試験研究機関の統合強化を重点策として取り上げてきたが、新試験場が整備された36年4月、条例により岡山県機械金属指導所、岡山県備中織物指導所、及び岡山県児島繊維指導所の3指導所が、改組統合された。そして,総務,化学,繊維雑貨,機械金属の1課(2係)、3部(10科)、6指導所の機構とし、新しく、次長、部長、課長、科長、係長、指導所長をおいた新体制のもとで発足した。」
「機械金属指導所は岡山市東島田にあって,昭和36年の統合で機械金属部と改称されたが,昭和44年度末今保地区に新築移転」
「昭和51年4月1日,岡山県工業試験場は“岡山県工業技術センター”に名称変更するとともに,機構改革を行った。」
・『〔岡山県陸用内燃機関工業協同組合〕50年の歩み』(資料③)には、「岡山県内燃機技術振興研究会」が岡山県機械金属指導所の支援を得て、昭和29年5月新規格の高速石油発動機を試作完了し、高速エンジン “岡山号”としてデビューしたことが記載されている。
・『岡山県史 第14巻』(資料④)の「岡山県工業技術センターの設置」の項目にも、岡山県工業技術センターの生い立ちとともに、岡山県機械金属指導所に関する簡単な記載がある。