レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20150107
- 登録日時
- 2017/11/15 00:30
- 更新日時
- 2018/03/22 15:19
- 管理番号
- 広県図20140160
- 質問
-
解決
間宮海峡と名づけられたのはいつか。
- 回答
-
次の資料を紹介した。(【 】は当館請求記号。)
『日本大百科全書 22』小学館,1988.7【R031/84ニ/22】
p.109 間宮海峡
「海峡名の「間宮」は、(略)間宮林蔵の功績をシーボルトがたたえ、世界地図上に海峡名として命名したことによる。」
p.109 間宮林蔵
「シーボルトの著作『日本』により間宮海峡は世界的に有名になる。」
『コンサイス外国地名事典』三省堂編修所/編,第3版,三省堂,1998.4【R290.3/98サ】
p.538-539 タタール海峡
「海峡は1808間宮林蔵が発見し,シーボルトがヨーロッパに伝えた。」
『ロシアを知る事典』川端香男里/[ほか]監修,新版,平凡社,2004.1【R238/104カ】
p.458 タタール海峡
「シーボルトがこの海峡を<マミヤの瀬戸>の名で西欧に紹介したことはよく知られている。」
『間宮林蔵』洞富雄/著,吉川弘文館,1986.12(人物叢書 新装版)【289.1/マリ87】
p.263-274 林蔵の業績とシーボルト
p.267「この1832年刊行の翻訳図にはStr. Mamiya(seto)1808と書きいれられている。これこそは間宮海峡が最初に世界に示された記念すべき地図である。」
p.274「しかし、シーボルトの命名になる間宮海峡という名称がひろく知れわたるようになったのは、一八八一年に・・・」
『日本 〈図録 第1巻〉』フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト/著,雄松堂書店,1978.【302.1/Si72/7】
[図版] Ⅰ第1図(a) 日本とその隣国および保護国:日本の原地図による
「Mamiya (seto)」の記載あり。
「付図」
Ⅶ第25図 樺太島とマンコー(アムール)河口:最上徳内と間宮林蔵の原図による
「MAMIYA NO SETO」の記載あり。
J-STAGEで次の文献が閲覧できる。
『地学雑誌』Vol.17No.7(1905)
p.522[雑報] 間宮海峡(新称)
J-STAGE https://www.jstage.jst.go.jp/browse/-char/ja(最終確認日 2018年1月26日)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 海洋学 (452)
- 参考資料
- キーワード
-
- 間宮海峡
- 韃靼海峡
- タタール海峡
- 間宮林蔵
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000224797