レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年10月13日
- 登録日時
- 2012/10/13 11:42
- 更新日時
- 2013/09/30 22:17
- 管理番号
- 20121013-1
- 質問
-
解決
建部賢弘について知りたい。
- 回答
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建部賢弘(たけべかたひろ) Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)]
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%BB%BA%E9%83%A8%E8%B3%A2%E5%BC%98/ (2012/10/13確認)
建部賢弘【たけべかたひろ】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E5%BB%BA%E9%83%A8%E8%B3%A2%E5%BC%98 (2012/10/13確認)
たけべかたひろ【建部賢弘】 国史大辞典
一六六四―一七三九
江戸時代中期の暦算家。徳川吉宗のブレーンの一人。幼名源之進、のちに彦次郎、号は不休。寛文四年(一六六四)徳川家の右筆の家に生まれる。建部直恒の三男。兄の賢雄・賢明とともに数学を関孝和に学ぶ。甲府の徳川綱豊(のちの六代将軍家宣)、七代家継、八代吉宗に仕えた。享保四年(一七一九)日本総図製作の責任者となる。関孝和の業績の中のいくつかは建部の助力が加わっていると思われる。関の『発微算法』(延宝二年(一六七四)刊)は、関の工夫した点竄(てんざん)がはじめて示された著作であるが、松田正則の『算法入門』(天和元年(一六八一)刊)のように、一部の数学者から間違いばかりだと非難された。賢弘の『研幾算法』(天和三年刊)は、『算法入門』の示した『数学乗除往来』(延宝二年刊)の遺題解答を訂正するために著わされた書で、賢弘が二十歳の時の著作である。関と建部賢明・賢弘の三人は数学の集大成としての大著を完成することを相談した。『算法入門』の関への非難、『研幾算法』の反論を考え合わせると、この論争が数学の集大成を完成しようという契機になったと考えられる。この集大成は賢弘を中心として進められ、元禄の中ごろ完成し、『算法大成』と名づけられ、その後さらに賢明が手を加えて、『大成算経』二十巻(稿本、宝永七年(一七一〇))としてまとめられた。その間、賢弘は『発微算法』を解説した『発微算法演段諺解』(貞享二年(一六八五))、中国の『算学啓蒙』を解説した『算学啓蒙諺解大成』(元禄三年(一六九〇))を刊行している。・・・
建部賢弘の数学 / 小川束, 佐藤健一, 竹之内脩, 森本光生著 東京 : 共立出版 , 2008 9784320018617
https://opac.clib.kindai.ac.jp/opac/opac_details.cgi?lang=0&amode=11&place=&bibid=BT00182155&key=B135009609724348&start=1&srmode=0 (2012/10/13確認)
日本科學技術古典籍資料 / 浅見恵, 安田健訳編 數學篇2. - 東京 : 科学書院. - 東京 : 霞ケ関出版(発売) , 2001.6. - (近世歴史資料集成 ; 第4期 ; 第2巻) 476030231X
https://opac.clib.kindai.ac.jp/opac/opac_details.cgi?lang=0&amode=11&place=&bibid=BT00116921&key=B135009609724348&start=1&srmode=0 (2012/10/13確認)
新編算學啓蒙諺解 / [建部賢弘著]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 和算.中国算法 (419 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 和算
- 関孝和
- 研幾算法
- 大成算経
- 発微算法演段諺解 はつびさんぽうえんだんげんかい
- 綴術算経 てつじゅつさんけい
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000112451