レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2004年07月01日
- 登録日時
- 2005/01/26 15:08
- 更新日時
- 2023/05/26 12:40
- 管理番号
- edo2004-07
- 質問
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解決
江戸時代の男女の平均身長はどれくらいか。
- 回答
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江戸時代の人の身長は、墓地などから発掘された人骨(おもに大腿骨)の長さから推定されています。推定身長を出すための計算式や、サンプルの採り方などで若干の差はありますが、おおむね“男性155~158cm”“女性143~146cm”の範囲内におさまるようです。
(1)『骨は語る 将軍・大名家の人々(*)』(鈴木尚著 東京大学出版会 1985年 4694/1/89)には、江戸時代庶民の平均は“男性157.11cm”“女性145.62cm”とあります。
(*)徳川将軍とその正室・側室や、江戸時代の大名の推定身長なども載っています。
(2)『日本人のからだ』(鈴木隆雄著 朝倉書店 1996年 4911/3/96)では“男性155.09~156.49cm,女性143.03~144.77cm(江戸時代前期~後期)”。
(3)「江戸時代人の身長と棺の大きさ(**)」平本嘉助(『江戸時代の墓と葬制 江戸遺跡研究会第9回大会発表要旨』江戸遺跡研究会 1996年 2102/115/9)では江戸庶民の平均が“男性155~156cm,女性143~145cm(江戸時代前期~後期)”。“将軍・大名(男性)の平均が157cm”“正室・側室(女性)が145cm”で階級による大きな身長差はなかった、と推察しています。
(**)同発表要旨を元に改稿された論文が『墓と埋葬と江戸時代』(江戸遺跡研究会編 吉川弘文館 2004年 3856/26/004)に掲載されいてます。
現在の日本人の体型と比べるとだいぶ小柄だったといえますが、すべての人が小柄だったわけではなく、身長2mを越す大男もいました。文政期の看板力士“大空武左衛門”や天保期の看板力士“生月鯨太左衛門”は身の丈7尺5寸(約227cm)もあったと言われています。(『古今大相撲力士事典』(景山忠弘 小池謙一著 国書刊行会 1989年 7881/10/89)参考)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 基礎医学 (491 9版)
- 人類学 (469 10版)
- 一般動物学 (481 10版)
- 参考資料
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- 『骨は語る 将軍・大名家の人々』(鈴木尚著 東京大学出版会 1985年 4694/1/89)
- 『日本人のからだ』(鈴木隆雄著 朝倉書店 1996年 4911/3/96)
- 『古今大相撲力士事典』(景山忠弘・小池謙一著 国書刊行会 1989年 7881/10/89)
- 「江戸時代人の身長と棺の大きさ」平本嘉助(『江戸時代の墓と葬制江戸遺跡研究会第9回大会発表要旨』江戸遺跡研究会 1996年 2102/115/9) (同発表要旨を元に改稿された論文が『墓と埋葬と江戸時代』(江戸遺跡研究会編 吉川弘文館 2004年 3856/26/004))
- キーワード
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- 身長
- 人体
- 骨格
- 骨
- 江戸時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 江戸遺跡研究会(http://edo.jpn.org/)(2017/10/17確認)
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000013899