日清戦争で金鵄勲章に漏れた者の具体的な事例は見つかりませんでしたが、日露戦争では選考に漏れた者が不平を抱く例があったようです。
『日本陸軍史百題』には、「家に帰ったところ、誰と誰とは頂いたのに、お前が頂けないのは、何か卑怯なことをしたか、大事なときに逃げたのではないかと、親や女房までいうので我慢ならない」という不満が載っており、授与されなかった者が極めて具合の悪い立場に立たされた、との解説があります(p.108)。また、本学には所蔵がありませんが、『明治時代の人生相談 一〇〇年前の日本人は何を悩んでいたのか』(山田邦紀著、日本文芸社、2007)にも、おそらく日露戦争に絡んで似たような話が載っているようです。こちらは所蔵がありませんので中身を確認できておりません。他大学や公共図書館には所蔵があるようです。
ただ、日清と日露では状況が大きく異なっているのも事実です。山村健「旧軍の人事評価制度-勲章と武功認定」(『戦史研究年報』第9号 pp.44-65
http://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/200603/5.pdf 【最終アクセス2018/7/17】)によれば、日清戦争で金鵄勲章を授与された者は、計2174名に対し、日露戦争では陸軍関係だけでも10万人を超えており、激増していることがわかります(pp.61-64参照)。
「明治・大正の流行語」(『国文学』42巻14号 p.24) によると、明治27年日清戦争が起きたとき、「金鵄勲章うけあい」という言葉が当時の流行語になっており、民間では武勲とは関係なく何かいいことをすると「金鵄勲章うけあいだね」と言うことが流行したようです。実際には卓越した軍功をおさめた一握りの軍人のみに授与されるわけですから、「金鵄勲章うけあいだね」という言い回しは、滅多なことでは貰えない、この勲章の高い価値を表しているのではないでしょうか。時代が下って日露戦争期になると、上に見たように受章者が激増したからこそ、冒頭のような不満が出てきたのではないかと思われます。
以上を踏まえて、広津柳浪の『七騎落』を考えるに、この作品では選考に漏れた者に焦点を当てていますが、日清戦争期の「金鵄勲章うけあい」という当時の世相を背景として考えるなら、むしろ選考に漏れることは当たり前のことだったので、受章に期待をかけること自体が少し現実離れしているのではないかと思われます。日清戦争期の現実の世界は、金鵄勲章は極めて稀なわけですから、原田重吉のように授与された者にこそ大きな注目が向けられていた、と考えるのが自然であり、『七騎落』の主人公は何故に受章に期待をかけてしまったのかが、むしろ問われるべきではないでしょうか。