高射砲陣地が宇都宮市内にあったと記述された資料は確認できましたが、正確な場所がわかる資料は確認できませんでした。
1 地域資料からの調査
・『陽南三地区の歴史 陽南・緑が丘・陽光』(陽南三地区歴史編さん委員会/編、発行 2009)※貴館調査済み資料
p.64に「昭和20年3月には宇都宮市にも高射砲部隊が配置された」とあります。
・『二荒山は炎の中に 宇都宮空襲と戦時下のくらし 1930‐1951』(宇都宮平和祈念館建設準備会/編 随想舎 1992)
「近現代宇都宮戦争史年表」のp.149、1945年7月10日の項に「宇都宮郊外の対空砲火で、艦載機二機を撃墜」とあります。
上記の情報を参考に、以下のとおり下野新聞記事を確認しました。
しかし、高射砲陣地の場所を特定できる記述は確認できませんでした。(調査は職員の目視によるものです。)
・下野新聞(マイクロフィルム)
(1)昭和20年3月の記事
高射砲部隊の配置場所に関する記事は確認できませんでした。
(2)昭和20年7月の記事
昭和20年7月11日2面「敵の企圖を撥返す 志気旺盛な防空弾 必中弾に晒す残骸二機」
記事中に「宇都宮市外横川村地内に○墜され」とあります。 ※一文字判読不可
また、写真が2枚掲載されており、1枚に「我が高射砲で撃墜された米艦載機の残骸横川村にて」との見出しがあります。
しかし、撃墜に使用された高射砲の位置や写真はありませんでした。
以下の資料もお調べしましたが、お求めの情報は確認できませんでした。
・『飛翔の詩』(宇都宮中島会編集委員会/編 宇都宮中島会 1989)
p.68に「宇都宮製作所全体図」、p.69に「宇都宮製作所工場平面図」がありますが、高射砲陣地の記載はありませんでした。
・『宇都宮輜重史 創設以来大東亜戦争に至る輝く宇都宮兵団・同輜重隊の活躍記録』(沢田久一/編、発行 1973)
・『中島飛行機会社・宇都宮工場』(米山和也/訳 発行年不明)
・『中島飛行機の研究』(高橋泰隆/著 日本経済評論社 1988)
・『宇都宮の戦争遺跡を歩く うつのみや戦跡マップ』(宇都宮平和祈念館をつくる会/編、発行 1999)
・『宇都宮空襲 米軍事資料』(米山和也/訳、発行 米山和也 1982)
・『下野新聞で見る昭和・平成史 1(1926-1951)』(下野新聞社/編、発行 2015)
・『宇都宮空襲論』(米山和也/著 発行年不明)
・『宇都宮空襲・戦災誌』(宇都宮空襲・戦災誌編集部/編 宇都宮市戦災を調査する会 1985)
・『宇都宮市史 第8巻 近・現代編2』(宇都宮市史編さん委員会/編 宇都宮市 1981)
・『栃木県の近代化遺産 栃木県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書』(栃木県教育委員会文化財課/編、発行 2003)
・『宇都宮市永年防空計画書』(著者・出版者・出版年不明)
・『宇都宮市防空計画書 昭和十四年度』(著者・出版者・出版年不明)
・『栃木県史 史料編 近現代3』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1979)
・『栃木県警察史 下巻』(栃木県警察史編さん委員会/編 栃木県警察本部 1979)
2 一般資料からの調査
・『戦史叢書 51 本土決戦準備 関東の防衛 1』(防衛庁防衛研修所戦史室/著 朝雲新聞社 1971)
付録を確認しましたが、高射砲陣地の場所を特定できる地図はありませんでした。
・『戦史叢書 19 本土防空作戦』(防衛庁防衛研修所戦史室/著 朝雲新聞社 1968)
p.512の「第五編本土の決戦準備と防空(昭和二十年一月~八月)第二章 本土の決戦態勢確立と防空作戦」に「各方面軍の地上防空部隊部署」の項があり、このうち「第十二方面軍」の項に宇都宮への高射砲部隊の派遣について記載があります。
第十二方面軍については、p.614‐615の「第三章 航空防空の控制と地上防空作戦」にも項がありますが、高射砲部隊の配置場所に関する記事は確認できませんでした。
・『日本防空史』(浄法寺朝美/著 原書房 1981)
「6軍防空 (2)防空戦闘機隊・高射砲隊」の項があり、p.80に「1945(昭和20)年における全国高射砲の配置」の表があります。
宇都宮に配置した部隊数、砲数について記載がありますが、位置を示す図表は確認できませんでした。
以下の資料もお調べしましたが、お求めの情報は確認できませんでした。
・『中島飛行機の終戦』(西まさる/著 新葉館出版 2015)
・『東京大空襲・戦災誌 第3巻』(東京大空襲・戦災誌編集委員会/編 東京大空襲を記録する会 1973)