レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年09月30日
- 登録日時
- 2017/02/02 14:51
- 更新日時
- 2017/03/15 12:00
- 管理番号
- 埼熊-2016-100
- 質問
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解決
『勘定奉行荻原重秀の生涯』(村井淳志著 集英社 2007)のp190に「荻原銭」についての記述がある。江戸時代に「荻原銭」と呼ばれていたかを知りたい。
- 回答
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江戸時代(文化2年)成立の「三貨図彙(さんかずい)」という史料で「萩原銭」という語を使用していることが確認できた。なお、「三貨図彙」を収録している所蔵資料を確認したところ、「荻」ではなく「萩」の字となっている。
『国書総目録 3 け-さ』(岩波書店 1982)
p759「三貨図彙(さんかずい)」「別:古今貨幣図説」「類:貨幣」「著:草間伊助(直方)」「成:文化12」(後略)とあり。
『日本経済叢書 巻27 三貨図彙 乾巻』(滝本誠一編 日本経済叢書刊行会 1916)
p110「萩原銭」の項あり。「同十三庚辰三月六日ヨリ、京都七條川原ニテ鋳之」「右七條銭を萩原銭ト称ス、御勘定奉行萩原近江守重秀差図ニテコレヲ鋳、(後略)」
『日本経済大典 第39巻』(滝本誠一編 明治文献 1970)
p115「萩原銭」の項目あり。前掲『日本経済叢書 巻27 三貨図彙 乾巻』と同内容である。
- 回答プロセス
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1 質問指定資料を確認する
『勘定奉行荻原重秀の生涯』(村井淳志著 集英社 2007)
p21-22「一つは、おそらく荻原重秀の死後、匿名の著者によって書かれた『武野燭談(ぶやしょくだん)』という随筆である。この書は随所で荻原重秀に対する批判が見られる(中略)もう一つは、戸田茂睡『御当代記』である。」とあり。
p190「元禄十二年(一六九九) 寛永通宝(荻原銭) 江戸亀戸と京都七条の銭座で鋳造された一文銭。(中略)とくに京都で造られた方は、従来の寛永通宝と比べて小さく、(中略)造りが粗雑だったため、「荻原銭」と呼ばれて不評であった。」と記述あり。典拠資料は明示なし。
『武野燭談 江戸史料叢書』(村上直校注 人物往来社 1967)
p324-325 『勘定奉行荻原重秀の生涯』p21での引用箇所あり。荻原銭についての記述なし。
2 自館目録をキーワード〈寛永通宝〉で検索する
『江戸文化の考古学』(江戸遺跡研究会編 吉川弘文館 2000)
p260-272「江戸時代の銭貨・寛永通宝」に該当の記述なし。
自館目録をキーワード〈江戸 or 日本 & 貨幣〉で検索する。
『江戸の貨幣物語』(三上隆三著 東洋経済新報社 1996)
p102「勘定奉行の荻原重秀が銅貨増鋳を推進したことから、このとき鋳造されたものを粗悪銭との意味をこめて荻原銭、あるいは銭座場所名のひとつをとって七条銭ともよんだ。」とあり。この後、荻原重秀のことばの出典として「三王外記」があがっている。
『日本の貨幣 日本歴史新書』(小葉田淳著 至文堂 1958)
p236「いわゆる荻原銭」とあるが、当時から呼ばれていたかについては記述なし。
3 インターネット情報の調査
《Google ブックス》(https://books.google.co.jp/ Google)を〈荻原銭〉で検索する。
『日本思想大系 59 近世町人思想』(家永三郎編集 岩波書店 1975)
「町人考見録」p224「是は小銭・大銭合て」の「小銭」の頭注に「小銭:元禄12年、糸割符の京商人が、糸高の代りに、鋳銭事業を許可されて、翌年からつくった新しい寛永通宝(俗に荻原銭と云う悪貨)。→補」とあり。
p400(補注)「小銭(224 17)三貨図彙、四に、「荻原銭 同十三庚辰三月六日ヨリ、京都七条川原ニテ鋳之、右七条銭ヲ荻原銭ト称ス、(後略)」とあり。
「町人考見録」(三井高房)p416(解説)に「この書は云うまでもなく、近世初期京都における大町人の興起と、その没落を述べて、若干他地方にも及んだもの。三井総本家三井高房が、(中略)自家の教誡とした(後略)」とあり。
《Google ブックス》を〈史料 & "荻原銭"〉〈史料 & "萩原銭"〉で検索する。
『大正の名著』(渡邊澄子編 自由国民社 2009)
p259(「日本経済史」(竹越与三郎 大正9年刊)の解説で「第5から10巻は(中略)「荻原銭」と呼ばれる寛永通宝の改鋳をはじめ(中略)豊富な史料を駆使して手堅く実証的に追究している。」とあり。
《国会図書館デジタルコレクション》
「日本経済史 4」(竹越与三郎著 平凡社 1934-35)
p99に「荻原銭」の記述あり。史料名なし。(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448656 国会図書館)
その他検索の結果から、「銭録」という文献が存在することがわかる。
《日本古典籍総合目録》(http://base1.nijl.ac.jp/~tkoten/about.html 国文学研究資料館)を〈銭録〉で検索する。
銭録(せんろく) 著者:近藤/正斎 成立:文政一〇 活字:近藤正斎全集三
『近藤正斎全集 第3巻』(国書刊行会 1906)
「銭録」に「荻原銭」の記述なし。
4 「三貨図彙」についての調査
自館目録を〈三貨図彙〉で検索、回答資料を確認する。
5 「三王外記」を確認する
『藤田五郎著作集 第4巻 封建社会の展開過程』(藤田五郎著 御茶の水書房 1977)
p189「そして、当の荻原重秀は、元禄一二年銅銭増鋳の際、また「貨幣は国家が造るところであって、(中略)今鋳造する銅銭は、薄悪だといっても、なお紙紗よりは勝っている」(「三王外記)、但し「日本財政経済史料」五七二頁の解釈による)(後略)」
p190「このときの銅銭は、いわゆる「荻原銭」と称せられるもので、その品質は「薄小で悪」かった(「山王外記[ママ]」)。」
《日本古典籍総合目録》(http://base1.nijl.ac.jp/~tkoten/about.html 国文学研究資料館)を〈三王外記〉で検索する。
三王外記(さんのうがいき) 著者:東武野史/訊洋子(訊洋子)著 太宰/春台 著 / 伝
成立:記載なし 著作注記:〈般〉憲王(徳川綱吉)・文王(徳川家宣)・章王(徳川家継)の時代史。活字:我自刊我書
自館目録を〈我自刊我書〉で検索するが、質問に該当する資料なし。
《国会図書館デジタルコレクション》
「三王外記」(東武野史著 甫喜山景雄 明13.10)(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772809(上) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772810(下) 国会図書館)
目次情報がないため、掲載箇所不明。
『日本財政経済史料 第2巻』(大蔵省編 財政経済学会 1922)
p572「(前略)銭薄小且悪、(後略)【三王外記】」とあり。「荻原銭」の記述なし。
その他調査済み資料
『三田村鳶魚全集 別巻』(三田村鳶魚著 中央公論社 1983)
〈荻原重秀〉の項に「荻原銭」の記述なし。第6巻に貨幣に関する章があり、貨幣に関する史料「和銭考」「貨幣通考」が存在を確認する。
《日本古典籍総合目録》(http://base1.nijl.ac.jp/~tkoten/about.html 国文学研究資料館)を〈和銭考〉〈近代通考〉で検索する。
近代和銭考(きんだいわせんこう)著者・成立:記載なし 活字:記載なし
貨幣通考(かへいつうこう) 著者:羽田/正見 成立:安政三 活字:海舟全集三・吹塵録上
『勝海舟全集 4 吹塵録』(勝海舟〔著〕 江藤淳〔ほか〕編集 講談社 1977)
p357「貨幣通考」(羽田正見著)に「頭書 地方凡例録に云く、元禄末より宝永にかけ、江戸に於て新銭を鋳る。荻原近江守重英これに奉ず。雑物を加へ、形文銭より小薄、位甚だ劣れり。」とあるが、「荻原銭」の語は見えず。
ウェブサイトの最終アクセス日は2015年9月29日。
- 事前調査事項
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『勘定奉行荻原重秀の生涯』(村井淳志著 集英社 2007)に随筆の資料がのっている。
- NDC
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- 経済 (330 9版)
- 貨幣.通貨 (337 9版)
- 参考資料
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- 『国書総目録 3 け-さ』(岩波書店 1982)
- 『日本経済叢書 巻27 三貨図彙 乾巻』(滝本誠一編 日本経済叢書刊行会 1916)
- 『日本経済大典 第39巻』(滝本誠一編 明治文献 1970)
- キーワード
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- 荻原銭
- 萩原銭
- 貨幣‐歴史
- 荻原 重秀(オギワラ シゲヒデ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 歴史 経済
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000208636