レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20120625
- 登録日時
- 2013/10/12 00:30
- 更新日時
- 2016/12/15 15:46
- 管理番号
- 広県図20120055
- 質問
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未解決
1840年頃生まれの広島出身の人物,高田似●(「土」と「龍」を横に並べた字)(号は守天、天道道士)の卒年が知りたい。
- 回答
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高田似龍[土龍]の死亡年月日は次のとおりです。
参考資料1「高田は、中風症に罹り病臥中のところ、昭和三年九月一九年午後六時脳溢血のため死亡した。享年六九歳(「芸日」昭和三・九・二一)、「官報」昭和三・九・二六、「新聞」昭和三・一○・一五」
参考資料2「高田似〔土龍〕氏 公証人高田似〔土龍〕氏は十九日午後六時半広島市国泰寺町の自宅で死去した。」以下略歴等17行記述あり
『中国新聞』昭和3年9月21日夕刊2面
『官報』昭和3年9月26日「司法及び警察 公証人死去 広島地方裁判所所属公証人高田似〔土龍〕ハ本月十九日死去セリ」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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この人物の経歴については,同時代の稲田九皐が1920年に書いた「送高田守天移住東都序」(高田守天が東京に移住するのを送別するの意)という漢文の文章(稲田九皐『鶴鳴軒詩文鈔』所収)が参考になる。この文章には,1940年頃生まれであることや,医家に生まれ医学を修めたこと,その後法学に転向したこと,22歳で伏師(代言人または弁護士)になったこと,しばしば弁護士会長を務めたこと,県会議員や市会議員も努めたこと等が記されている。なお,この本の編集兼発行者, 出版年が「広島市国泰寺町百弐番地 高田似〔土龍〕」「大正14年」となっているので, 少なくとも大正14年(1925年)までは,生存していたと見られる。
- NDC
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- 司法.訴訟手続法 (327)
- 参考資料
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- 1.『広島弁護士会沿革誌:資料 3 大正編』増田修/[著],広島修道大学「明治期の法と裁判」研究会,2010.09 (ID:1006370769 ) (p.334)
- 2.『広島県人名事典 付録』歴史図書社,1976 (ID:1003835319 ) (p.66「弁護士 高田似龍」4行記述あり。生没年なし。)
- キーワード
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- 高田似龍
- 弁護士
- 広島
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000138494