レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/8/23
- 登録日時
- 2016/10/07 00:30
- 更新日時
- 2023/12/24 00:30
- 管理番号
- M16082413283381
- 質問
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岡山藩の江戸藩邸(上屋敷・中屋敷・下屋敷)の分布および現在地が知りたい。
- 回答
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・『池田光政公伝 上巻』(資料①)には、「江戸に於ける備前藩邸一覧」として21の屋敷の坪数、現在地、立地時期が示されている。
・『備前藩殿様の生活』(資料②)では、「備前藩の上屋敷」、「備前藩の中屋敷」、「備前藩の下屋敷」に区分し、次の説明がある。
上屋敷
「参勤中の殿様の一ヵ年の生活の場所であり、江戸詰の藩士の上層部も、
何時もここに詰めて、江戸における備前藩政の中枢となっていた」
「この上屋敷のあったのは、現在の皇居の東、すなわち、和田倉門の南寄り」
「備前上屋敷は、江戸時代を通じて、五回も火災に遭って消失するという
不幸もあったが、その毎に直ちに再建されたのである」
「備前上屋敷(本邸)の前に同じく、備前藩邸として使用された大名坊前邸、
または向屋敷という(中略)屋敷があった」
中屋敷
「備前藩中屋敷は、隅田川畔の築地にあったもので、築地屋敷ともいわれ、
現在の中央区築地二丁目の西本願寺の北辺りにあった」
「築地屋敷は、歴代藩主の世子(世嗣)が生活するところであった」
「上屋敷が火災で焼失した時は何回かここが上屋敷に代用された」
下屋敷
「下屋敷であるが、これは大崎屋敷と本庄(所)屋敷の二つが有名である」
「大崎屋敷は、(品川区)国電大崎駅の北側あたり」
「本所屋敷は、江戸東部の江東地区にあったもので、(中略)大崎屋敷と共に
備前藩主の一種の別荘と考えてよいであろう」
以上のほか、江戸時代に新設・廃止された12の下屋敷の場所も掲げられている。
上掲資料①②は、いずれも『備藩邸考』(資料③に翻刻)を典拠情報に示している。
・『岡山藩江戸藩邸ものがたり』(資料④)は、「池田家文庫等貴重資料展」(平成13年)の展覧会図録となっている。
屋敷絵図の掲載とともに、主要な「岡山藩の江戸屋敷」に関する位置や変遷について解説する。
・『古地図で歩く江戸城・大名屋敷』(資料⑤)の巻末に「江戸大名屋敷所在地一覧」があり、次の記載がある。
「212 備前岡山藩(岡山県岡山市)
上〔屋敷〕 千代田区丸の内2丁目/丸ビル、郵船ビル
中〔屋敷〕 中央区築地3-5 /日刊スポーツ新聞社
下〔屋敷〕 品川区東五反田5-2/池田山公園 」
岡山ゆかりの藩邸跡地の概要は、次のサイト(2016年8月27日確認)も参考となる。
・「江戸東京 岡山を歩く - 藩邸跡は今」(岡山市東京事務所)
http://www.city.okayama.jp/tokyo/yukari/hantei/index.htm
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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①永山卯三郎『池田光政公伝 上巻』世界聖典刊行協会,1980,902p.参照はp.350-361.
②荒木祐臣『備前藩殿様の生活』岡山 日本文教出版,1979,227p. 参照はp.63-69.
③神原邦男, 吉本勇「備前藩江戸屋敷の研究(一)」『吉備地方文化研究』第9号,1998年9月,p.67-181.
④岡山大学附属図書館『岡山藩江戸藩邸ものがたり』〔岡山〕 岡山大学附属図書館,2001,8p. 参照はp.2-8.
⑤岡本哲志『古地図で歩く江戸城・大名屋敷』 平凡社,2011,95p. 参照はp.94.
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①永山卯三郎『池田光政公伝 上巻』世界聖典刊行協会,1980,902p.参照はp.350-361.
- キーワード
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- 岡山藩
- 備前藩
- 江戸屋敷
- 藩邸
- 池田家
- 照会先
- 寄与者
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- 岡山市東京事務所
- 備考
- M2016082413271283381
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000197848