坂田諸潔が西南戦争で西郷軍に加わった旨の記述がある資料はあったが、坂田と西郷の関係について述べている資料は見つからなかった。
参考までに以下の資料をご紹介した。
・『西南戦争』小川原正道 著 中央公論新社 2007年
→p.98「一方、かねて家禄・賞典禄の処分に不満をもっていた福島区長の坂田諸潔は、薩摩蹶起の報を受け、西郷が事を挙げれば必ず成功すると確信し、自ら廟堂に座して「政体を改良になさん」(『西南の役薩軍口供書』)と決心したと述べている。西郷の蹶起は政府の奸臣を払う義務であり、名分は判然としていると呼びかけた彼は、二月二十七日、福島隊を率いて大分に向かった」
p.192 戦争処分について、「薩摩の主な人物としては、福島隊長の坂田諸潔が大山と同様の罪で除族・斬、(略)」
との記述あり。
・『西南戦争と西郷隆盛』落合弘樹 著 吉川弘文館 2013年
→p.241 「(略)福島隊長坂田諸潔、中津隊長増田栄太郎らは、自分の隊に降伏を命じたうえで同行している」
p.255 「薩軍の戦死者は一五九名、降伏は野村忍介・坂田諸潔など二〇〇名あまりだった」
との記述があり。
・『西南記伝 下巻1』黒竜会 編 黒竜会本部 1911年
→p.143~152 第一篇 第五章 福島隊
坂田諸潔が統率する福島隊の出兵について書かれている。
p.143に「坂田、夙に西郷隆盛の人と為りを慕い、當時政府の施設に反對し、桐野利秋、貴島淸等と往来し、政府改造を以て、其志と為したるもの。」
との記述あり。