レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年04月18日
- 登録日時
- 2017/04/25 17:48
- 更新日時
- 2017/04/27 13:14
- 管理番号
- 県立長野-17-017
- 質問
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未解決
明治13年頃から14年頃、長野県の副知事に当たる職に就いていた鳥山賢三(山口県士族)の写真もしくは肖像画が掲載されているものはあるか。
- 回答
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長野県で大書記官を務めていたころは、鳥山賢三ではなく鳥山重信となっているが、いずれの名前でも写真および肖像画は確認できなかった。長野県での在職期間が明治14年2月頃から明治19年8月頃であることを伝える。
- 回答プロセス
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1 『長野県史』長野県編 長野県史刊行会 の通史編、近代資料編などをあたるが、写真および肖像画はない。
2 『長野県政史』第1巻 1971 長野県編・刊【N317/74/1】にも写真および肖像画はない。
3 『長野県職員録 明治16年2月28日改』第3コマ【最終確認2017.4.25】に、大書記官・従6位で鳥山重信の名前がある。利用者の明治14年ごろまでいたという情報と異なる。
4 「信濃毎日新聞データベース」で、明治期のものを「鳥山」で検索かける。明治14年7月16日の1面の「長野県録事」欄に「長野県令代理 長野県少書記官 鳥山重信」名による通知のようなものが3件記載されている。このいずれの記事にも写真および肖像画はなかった。
5 「朝日新聞記事データベース 聞蔵II」で「鳥山重信」を検索する。1881年12月21日から1891年4月1日にかけて9件あり、長野県時代の記事は3件(1881年12月21日から1882年7月22日)だった。明治15年2月11日の記事に大書記官に昇進したことが報じられている。この9件、いずれれの記事にも写真および肖像画はなかった。
6 長野県立歴史館の収蔵資料検索をする。行政文書でヒットしたが、写真や肖像画はなかった。これらのうち、明治19年頃のものが確認された。
7 長野県での在籍年を確認するため、国立国会図書館デジタルコレクションの『改正官員録』を見ていく。明治14年2月226コマ【最終確認2017.4.25】のものが最初で、少書記官として「従6位 鳥山重光(東京)」が見られる。同年4月には「従6位 鳥山重光(山口)」と変わっている。「重光」という表記は明治16年2月まで続く。同年4月のものには「重元」、5月に「重信」となる。明治19年8月43コマ【最終確認2017.4.25】の掲載を最後に、長野県での名前が見つからない。明治19年10月21日朝日新聞記事によると、明治19年10月付で内務省県治局次長となっている。
- 事前調査事項
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1865年に伊藤博文の暗殺未遂を起こし、角島へ流罪となっている。長野県の前は、三重県で副知事職をしている。
- NDC
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- 日本 (281 8版)
- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
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長野県/編 , 長野県 , 長野県. 長野県職員録 明治16年2月28日改.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I058963822-00 (【N280.3/5/'83】)
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長野県/編 , 長野県 , 長野県. 長野県職員録 明治16年2月28日改.
- キーワード
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- 鳥山賢三
- 鳥山重信
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000215330