レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年05月24日
- 登録日時
- 2017/08/23 10:33
- 更新日時
- 2019/11/27 10:14
- 管理番号
- 京歴-344
- 質問
-
解決
現在のJR奈良線が木津川市(旧・山城町)の椿井大塚山古墳を分断する形で通っている。明治時代に奈良鉄道として建設された時、反対運動などはあったのか。そこが古墳という意識はあったのか。経緯を知りたい。
- 回答
-
①のp.85によると、古墳の存在はすでに周知のものだったが、文化財としての意識は希薄で、工事中に石棺などを掘り当てたことが小さなニュースになっても、鉄道が古墳を切断することを問題視する論調は見られないとのことであった。また、椿井大塚山古墳が全国的に著名になったのも、その古墳から出土した銅鏡が古代国家の統治領域を反映するものとして邪馬台国畿内説の有力な傍証とした小林行雄の同范鏡説が発表された第二次大戦後のことであるという。したがって、時間的には古墳が全国的に有名となる以前にすでに鉄道は敷設されていた。
また、②のp.138では「鉄道敷設で古墳を寸断したときに、玉類や刀剣が出土したという。しかし伝聞にとどまり、現物の所在は知られていない。」とあるのみで、古墳反対運動の存在も言及されていなかった。
③のp.196には、「明治29年、1896年、奈良鉄道が京都奈良間に鉄道を敷設したとき、この前方後円墳の前方部と後円部のあいだをずばっと断ち割る形で路線を通したのだった。そのときの記録はいっさいない」とある。
- 回答プロセス
-
「奈良線」「奈良鉄道」「椿井大塚山古墳」の3つをキーワードにOPACを検索し、合わせて「鉄道」に関する棚(NDC分類:686)、そして当館が付与している京都府内地理区分の「旧山城町」に該当するK286の書架をブラウジングした。その結果①と②が確認できた。
また、Googleで「椿井大塚山古墳」を検索したところ、個人ブログに『倭人争乱』という資料に関連記事があることがわかったので、それも確認した。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 近畿地方 (216 9版)
- 参考資料
-
-
① 田中真人, 宇田正, 西藤二郎 著 , 田中, 真人, 1943- , 宇田, 正, 1932- , 西藤, 二郎, 1943-. 京都滋賀鉄道の歴史. 京都新聞社, 1998.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002721707-00 , ISBN 4763804456 (当館請求記号:K0||686.216||Ta84) -
② 山城町 (京都府). 山城町史 本文編. 山城町, 1987.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001860093-00 (当館請求記号:K286||291.62||Y44||1) -
③ 田中, 琢 , 田中, 琢. 倭人争乱. 集英社, 1991. (日本の歴史 : 集英社版)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I045414491-00 , ISBN 4081950024 (当館請求記号:210.1||N71||2)
-
① 田中真人, 宇田正, 西藤二郎 著 , 田中, 真人, 1943- , 宇田, 正, 1932- , 西藤, 二郎, 1943-. 京都滋賀鉄道の歴史. 京都新聞社, 1998.
- キーワード
-
- 古墳
- 鉄道
- 文化財
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000220931