レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年12月01日
- 登録日時
- 2017/03/10 15:20
- 更新日時
- 2017/03/31 14:19
- 管理番号
- 名古屋市西‐2016‐001
- 質問
-
鎌倉時代に今の押切のあたりに城があったそうだが、城の位置・規模・今のどのあたりかなど詳しいことを知りたい。
- 回答
-
城の場所については二説あります。
『愛知の古城』(p11)によれば白山神社辺り、『愛知の城 史跡散策』(p7-8)によれば榎権現・白山神社としています。
『愛知県中世城館跡調査報告1』(p154および図10)の地図によれば、現在の押切交差点北東角辺りを城の場所として示しています。
二説のうち、どちらが正しいかは不明です。
江戸時代の資料「金鱗九十九之塵」(『名古屋叢書』8巻p166)では城の場所は村内馬喰町南の榎の古木のあたり、「寛文村々覚書」(『名古屋叢書』続編1巻p117)では今は田畑になっていると書かれており、江戸の頃にはすでに遺構はなかったもようです。
城の規模はどの資料も不明となっています。規模を推測するための資料として、中世城館の図が多く収録されている『復原図譜 日本の城』も提供しました。
- 回答プロセス
-
・『なごやの町名』で押切の項目を調べましたが、城の記述はありませんでした。
・『名古屋叢書』の索引で「押切村」を引くと8巻地理編の「金鱗九十九之塵」、続編1巻の「寛文村々覚書」が挙げてありましたので、記述を確認しました。
・名古屋市鶴舞中央図書館作成のパスファインダー「尾張の城館を調べる」に所載の資料のうち、西図書館所蔵の資料で調査したところ、『尾張の古城』『愛知の城 史跡散策』に押切城についての記載がありました。
・WEBで調査したところ、押切城については推定される場所が二か所あるという情報があり、そこで根拠として挙げられていた『愛知県中世城館跡調査報告1』を調査しました。(個人運営のサイトのためURLは記してありません。最終確認日2017年3月10日)
- 事前調査事項
- NDC
-
- 中部地方 (215)
- 参考資料
-
-
名古屋市. なごやの町名. 名古屋市計画局, 1992.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002219807-00 -
名古屋市教育委員会/編 , 名古屋市教育委員会. 名古屋叢書 : 校訂復刻 第8巻. 愛知県郷土資料刊行会, 1983.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005080305-00 -
名古屋市教育委員会/編 , 名古屋市教育委員会. 名古屋叢書 : 校訂復刻 続編 第1巻. 愛知県郷土資料刊行会, 1983.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005080327-00 -
笹山忠 著 , 笹山, 忠, 1935-. 尾張の古城 : 全三四〇城を訪ねて. [笹山忠], 2008.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009720022-00 -
山田柾之 著 , 山田, 柾之, 1930-. 愛知の城 : 史跡散策. 山田柾之, 1993.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002264853-00 -
愛知県教育委員会 編 , 愛知県教育委員会. 愛知県中世城館跡調査報告 1(尾張地区). 愛知県教育委員会, 1991.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002108605-00 -
西ケ谷 恭弘/著 , 香川 元太郎/イラストレーション , 西ケ谷‖恭弘 , 香川‖元太郎. 復原図譜日本の城. 理工学社, 1992.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I000159223-00 , ISBN 4844530151
-
名古屋市. なごやの町名. 名古屋市計画局, 1992.
- キーワード
-
- 押切城
- 城―名古屋市
- 名古屋市西区
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 押切 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000211442