レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年02月01日
- 登録日時
- 2017/11/09 14:06
- 更新日時
- 2018/01/21 12:39
- 管理番号
- 2017-26
- 質問
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解決
佐竹藩(秋田)から宇和島藩9代目藩主伊達宗徳に嫁いだ佳姫について、『伊達宗城公傳』『伊達宗紀公傳』『伊達村寿公傳』に記述があるか、その他に関連資料があるか
- 回答
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『伊達宗城公傳』『伊達宗紀公傳』『伊達村寿公傳』を調査したが、佳姫についての記述はなかった。
関連資料としては、以下のものがあった。
【資料1】の冒頭の解説に「六、伊達家の系譜と略歴(三)」があり、その中に「○夫人佳子 出羽久保田佐竹義厚の女。天保八年三月十八日、江戸に生れ、明治元年六月二日、宇和島で死去。年三十二。龍華山等覚寺に葬る。法名温徳院殿性海妙湛大姉。」とある(p8)。
【資料2】の「調度」の章に佳姫の婚礼調度品が掲載されており、資料解説も付されている。佳姫自体については、簡単な記述がある。
【資料3】に、佳姫が文久三年の八月十五夜の月を詠んだ和歌の短冊(宇和島市立伊達博物館蔵)の紹介がある。
【資料4】はコラム「文久三年の十五夜」に、【資料3】と同じ和歌を中心に佳姫についての記述がある。
【資料5】は「第十四章 「四賢候」の一人伊達宗城と姫君たち」に佳子(佳姫)についての記述がある。婚礼についての記述のほか、アーネスト・サトウが対面した佳子の印象が『一外交官の見た明治維新』に基づき記されている。※ただし、原典と原書には佳子と明記した記述が無く「ハレム(伊達家の奥を指すと思われる)の女性たち」や「人妻」「侍女」という記され方で、佳子と断定はできないとのこと(宇和島市立伊達博物館学芸員のご教示)。
その他
宇和島市立伊達博物館によると、宇和島藩における佳姫についての記録の大半は『稿本 藍山公記』という資料にあり、佳姫が宗徳の再婚相手に内定した記述から、明治元年に臨終を迎えるまでの様子がうかがえるとのこと。『稿本 藍山公記』は伊達宗城に関わる記録を抜粋して翻刻したもので、その大半の原本は『大扣』という資料になる。『稿本 藍山公記』は部分的にしか翻刻・刊行されていない。『稿本 藍山公記』『大扣』はともに伊達文化保存会が所蔵している。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『藩史大事典 第6巻 中国四国編』p538-552(雄山閣)、『秋田人名大事典』(秋田魁新報社)、『新編佐竹氏系図』p90(加賀谷書店)、『佐竹氏を支えた女たち』p112-113(秋田歴史を楽しむ会)、『佳姫婚礼記録』(秋田県立図書館蔵)、「佳姫の婚礼 1~15」(「愛媛県立歴史文化博物館学芸員ブログ」より)
- NDC
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- 東北地方 (212)
- 四国地方 (218)
- 日本史 (210)
- 参考資料
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- 【資料1】『家中由緒書 下』(近代史文庫宇和島研究会/編集 近代史文庫宇和島研究会 1980年)<当館請求記号:K252-18>
- 【資料2】『宇和島伊達家伝来品図録』(宇和島市立伊達博物館 2007年)<当館請求記号:K708.7-ウワ-2007>
- 【資料3】「武家のくらしと風習 ~宇和島伊達家にみるくらしの調度と武家の年中行事」(志後野迫希世/著)『文化愛媛』№66(愛媛県文化振興財団 2011年3月)p52-54
- 【資料4】『宇和島藩 シリーズ藩物語』(宇神幸男/著 現代書館 2011年)<当館請求記号:K252-ウユ-2011>
- 【資料5】『幕末三百藩古写真で見る最後の姫君たち』(『歴史読本』編集部/編 KADOKAWA 2016年)<当館請求記号:281.04-バク-2016>
- キーワード
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- 佐竹藩
- 宇和島藩
- 佳姫(よしひめ)
- 伊達宗徳(だて・むねえ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 伊達宗徳は、宇和島藩第9代藩主(1830~1905)。第7代藩主宗紀の三男として生まれ、1837年、第8代藩主宗城の世子となる。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000224447