レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年05月06日
- 登録日時
- 2017/03/16 13:40
- 更新日時
- 2017/06/20 14:17
- 管理番号
- 埼熊-2016-165
- 質問
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未解決
「江戸六口」とは何か知りたい。
- 回答
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「江戸六口」に関する記述は見つからなかった。
ただし、『江戸と江戸城』(内藤昌著 鹿島研究所出版会 1966)に「江戸五口すなわち東海道・甲州道・中山道・奥州道・上州道」との記述があり、本文に説明はないものの図には「大山道」も記載されている。
- 回答プロセス
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1 事前調査資料を確認する。
『東京歴史散歩 第1集 江戸城とその付近』(豊島寛彰著 虹書房 1960)
p136以外に「江戸六口」に関する記述は見当たらない。
2 参考図書を確認する。
『日本歴史大辞典 2』(河出書房 1968)
「江戸六口」はなし。
p84「えどむくみひきゃくなかま 江戸六組飛脚仲間」
「江戸市中における便宜の地である日本橋・京橋・芝口・本芝・赤坂・神田の六ヶ所に設けたものである。」とあるが、「六口」との関連は不明。
3 自館資料をブラウズする。
『江戸と江戸城』(内藤昌著 鹿島研究所出版会 1966)
p122「図2-8 江戸都市構成図」
江戸城を中心とした城下町の構成が渦巻状に発展していく様が解説されているが、その中に中山道、奥州道中、東海道、大山道、甲州道中、(上州道)の6つの道と12の門が描かれている。
p125「見附とは見張所のことで、堀に城門を架構した軍事施設であるが、かならず交通の要衛におかれた。(中略)その中でも重要な地点と目されたのは、江戸五口すなわち東海道・甲州道・中山道・奥州道・上州道(これだけはのちに中山道に含められた)の見附であり、すでにあった中世以来の街道を江戸城の中核に集約せしめ、堀の渦線に結びつけている。」
『歴史散歩 江戸と東京』(堤紫海著 文化総合出版 1975)
p132「常盤橋」
「江戸城には、城中の大門六門、諸門六十門、さらに外曲輪の諸門二十六門、合せて九十二門があった。」とあるが、「六口」の記述はなし。
- 事前調査事項
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『東京歴史散歩 第1集 江戸城とその付近』(豊島寛彰著 虹書房 1960)のp136に、「神田橋がある場所は、徳川家康が江戸に入城する以前、すでに江戸への入口として、江戸六口の一つに数えられた古い場所である」という内容の記述がある。
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『江戸と江戸城』(内藤昌著 鹿島研究所出版会 1966)
- 『東京歴史散歩 第1集 江戸城とその付近』(豊島寛彰著 虹書房 1960)
- キーワード
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- 江戸六口
- 江戸五口
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000212040