レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年12月15日
- 登録日時
- 2017/10/13 13:26
- 更新日時
- 2017/11/14 15:40
- 管理番号
- 2017-19
- 質問
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解決
東温市の旧南方村庄屋・高須賀家、旧則之内村庄屋・高須賀家について、西条市・旧西之川村庄屋・高須賀家について、歴史や家系など些細な事項も含め詳しく知りたい。
- 回答
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1.東温市 旧南方村庄屋・高須賀家について
以下の資料に関連する記述が見つかった。
【資料1】「人文誌 (一)沿革 ニ 拓けゆく村」の註6に「高須賀氏系図」が掲載されている。「堯氏」からはじまり「堯倫」で終わっている(p30)。「堯倫」のところに「号源左衛門、住久米郡南方村板戸邑為荘主、後小松院御宇応永二年九月十七日勧請熊野神社創建宮殿。」とある。また、「四 新しい村づくり」の「南方村」には、「庄屋は代々高須賀氏で竹の鼻にすんでおった。」(p35)、「註5 北方、南方の三役(幕末の頃古老伝)」に「(改庄屋)高須賀氏(略)(南方)」(p38)という記述もあった。
【資料2】南方の土地改良区に保存されていた南方村庄屋文書を、昭和59年9月中旬に川内町中央公民館資料展示室に移管したとある。「南方村庄屋高須賀半助」「庄屋 高須賀民五郎」などの人名が確認できるが、高須賀家の歴史・家系がまとめられた資料は掲載されていない。
2.東温市 旧則之内村庄屋・高須賀家について
関連する記述を見つけることができなかった。
3.西条市 旧西之川村庄屋・高須賀家
以下の資料に関連する資料が見つかった。
【資料3】「西之川について」に「天正年中(一五八五年頃)秀吉の四国征伐の時、長宗我部秦元親の武将高須賀が神像を背負って西之川に住み付き、そこを開拓した。その後に西之川の庄屋になった。明治時代に庄屋の火災で焼失し、詳しい資料が無くなり、以後伝わらなくなった。」とある。
【資料4】1585(天正13)年に「七月毛利勢の侵入により長宗我部将高須賀行重が神像を背負って西之川に来て開拓する。」という記述がある。
その他、記述が見つからなかったが今回調査した資料について以下に挙げる。
【資料5】庄屋の名簿である「松山小手鑑」「松山領里正鑑」が収録されているが、各庄屋の家の歴史の記述はない。
【資料6】関連する記述なし。この資料は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる。<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766426>
【資料7】関連する記述なし。この資料は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる。<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/109102>
【資料8】関連する記述なし。
【資料9】関連する記述なし。この資料は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる。<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766449>
【資料10】関連する記述なし。この資料は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる。<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950969>
【資料11】関連する記述なし。明治期の地誌。
【資料12】関連する記述なし。明治期の地誌。
【資料13】大保木騒動に関する資料で、「中奥山庄屋系」と題した中奥山村の庄屋の系図は掲載されているが、西之川村の庄屋の系図はない。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288)
- 四国地方 (218)
- 農業史.事情 (612)
- 参考資料
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- 【資料1】『川上村のおもかげ』(川上小中学校PTA 1951年)<当館請求記号:K293.4-11>
- 【資料2】野口晃/著「浮穴郡南方村庄屋文書」『愛媛の文化』第22号(愛媛県文化財保護協会 〔1983〕年)<当館請求記号:K705-1-22>、同「浮穴郡南方村庄屋文書・続」『愛媛の文化』第24・25号(愛媛県文化財保護協会 〔1986〕年)<当館請求記号:K705-1-24・25>
- 【資料3】白石史朗/著「現地調査に基づく旧大保木村の歴史(二)」『西條史談』第69号(西條史談会 平成19年1月)
- 【資料4】白石史朗/著「旧新居郡大保木山村の歴史と年表」『西條史談』第65号(西條史談会 平成17年9月)
- 【資料5】『松山市史料集 第7巻 近世編』(松山市史料編集委員会/編集 松山市役所 1986年)<当館請求記号:K231-29-7>
- 【資料6】『伊予温故録』(宮脇通赫/著 松山向陽社 1984年)<当館請求記号:K290-7>
- 【資料7】『予陽郡郷俚諺集・伊予古蹟志(伊予史談会双書 第15集)』(伊予史談会 1987年)<当館請求記号:K290-67>
- 【資料8】『伊予郡・和気郡・久米郡手鑑(伊予史談会双書 第22集)』(伊予史談会 1992年)<当館請求記号:K230-3>
- 【資料9】『温泉郡誌』(愛媛県教育協会温泉部会/編纂 松山向陽社 1909年)<当館請求記号:K293.4-1>
- 【資料10】『新編温泉郡誌 大典記念』(松田卯太郎/編 松山石版印刷所 1916年)<当館請求記号:K293.4-2>
- 【資料11】『伊予国地理図誌(中・南予)(伊予史談会双書 第25集)』(伊予史談会 2009年)<当館請求記号:K290-イヨ-2009>
- 【資料12】『伊予国地理図誌(東予)(伊予史談会双書 第24集)』(伊予史談会 2009年)<当館請求記号:K290-イヨ-2009>
- 【資料13】『伊予百姓一揆 5』(西園寺源透/編著、西園寺源透/写 〔愛媛県立図書館〕〔1997〕年)<当館請求記号:K612-4-5フク>(大正13年西園寺源透写のものを愛媛県立図書館で電子複写・製本)
- キーワード
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- 東温市(とうおんし)
- 西条市(さいじょうし)
- 庄屋
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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東温市は愛媛県中央部に位置する市で、平成16年9月21日、重信町と川内町が合併し、誕生。
西条市は愛媛県東予地方、西日本最高峰石鎚山の麓に位置する市。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000223061