レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年05月04日
- 登録日時
- 2015/07/28 14:32
- 更新日時
- 2015/08/12 10:12
- 管理番号
- 中央ー1-00921
- 質問
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未解決
奄美大島の教会にあったアンジェラスの鐘が、浦和教会に避難させられたと聞いた。具体的な年号などがわかる資料はないか。
- 回答
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アンジェラスの鐘が浦和教会に移ったのが何年かはっきりと書かれた資料は見つからなかった。
関連する記述があった図書資料、ウェブサイトを紹介した。
●図書資料
(1)『聖堂の日の丸 奄美カトリック迫害と天皇教』宮下 正昭/著 南方新社 1999.9
p291~294 教会の処分
p291~ 大笠利の「アンゼラスの鐘」は、大笠利教会の司祭を昭和七年(一九三二年)まで八年間務めたピネ・ゲネット神父が、カナダの両親や信者から集めた寄付でフランスから取り寄せた由緒ある鐘だった。教会が放火された時に既になかったのは、競売用に集められていたからだったのだろう。どこへとも分からず売りさばかれる難を逃れた鐘は、重信の計らいで、宮崎に送られ、都成仲二の家で保管される。戦後、聖心教会の鐘は戻って来るが、ほかの鐘は全国の教会で活用された。ただ「アンゼラスの鐘」は昭和五十九年(一九八四年)、笠利の信者らの要望で、埼玉の浦和教会から里帰りを果たす ……
との記述あり。
p288~291 教会炎上
p289 「アンゼラスの鐘」と呼ばれた教会の由緒ある鐘は、放火の以前から、既についていなかった。「いつの間にか、なくなっていた」と近くに住む山田菊三は語った。
との記述あり。
(2)『新しい旅だちのために』 フランシスコ会イエズスの聖心修道院カトリック北浦和教会 1992.7
p24 浦和教区五十年史 の中に
「一九三四年から激しくなった旧陸・海軍の圧力と奄美群島を中心にした宣教師の追放、教会施設の焼き討ちなどが、宣教師の鹿児島からの引き揚げを余儀なくした」との記述があるが、浦和教会や大笠利教会のアンジェラスの鐘についての記述はない。
●ウェブサイト
カトリック埼玉教区HP(http://www.saitama-kyoku.net/our_activitis/past_events/2010/index.cgi?mode=main&cno=115 最終確認:2015年7月28日)
「大笠利教会は、1937年に放火され、全焼。教会の「アンジェラスの鐘」も姿を消す。その鐘が、人々の手を通して宮崎から浦和へ。」
「1984年 12月 2日、浦和教会は、島本要司教、主任神父ローランド神父、内山神父、押川神父による共同ミサをささげ、30年余親しんできた「アンジェラスの鐘」に別れを告げ、奄美・大笠利教会へ送り出した。」との記述あり。
○カトリック高崎教会のページ(学校法人フランシスコ学園高崎天使幼稚園)
(http://www2.wind.ne.jp/catholictakasaki/ayumi/ayumi173.htm 最終確認:2015年7月28日)
「奄美・大笠利教会の鐘」(『教会季刊紙 あゆみ』第173号 2010年被昇天祭号)
「奄美とさいたま教区を結ぶ象徴的なしるしが、一個の鐘である。浦和に聖堂ができるに当たって、1935年頃焼失と供出の難をのがれて、宮崎県の都成仲二氏宅に保管されていたものが、戦後据え付けられ、以来現在の浦和教会ができるまでの40年近く、近隣にアンジェラスを告げることとなった。」
「この鐘は1984年12月本田仁義氏のお世話で元の大笠利教会に返されることとなり、島本司教等立会ののもとで、盛大な返還式が行われた。」との記述あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 各教派.教会史 (198)
- 参考資料
- キーワード
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- アンゼラスの鐘
- 照会先
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- 埼玉県立図書館
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000177794