レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年2月20日
- 登録日時
- 2018/02/14 14:20
- 更新日時
- 2018/03/28 10:56
- 管理番号
- 県立長野-17-141
- 質問
-
解決
天正10年(1582年)に、諏訪大社のお祭り(御柱祭りなど)のどれかが、「中止になった」ということがあったかどうかを知りたい。
- 回答
-
以下の資料に「御頭の祭礼」が行われなかったという記載がある。
『諏訪市史』上巻 諏訪市史編纂委員会/編 諏訪市 1995 【N241/69/1】
p1112-1118「第5節 混乱の中の諏訪社」p1112-1113「天正十年三月、織田信長は武田勝頼を滅ぼすと‐中略‐諏訪神社は、焼かれたばかりではなく、諏訪郡以外にあった所領やもろもろの得分をほとんど一挙に失い、従来滞り勝ちだった御頭も行われなくなった。」という記載がある。
『信濃史料 第15巻』 信濃史料刊行会/編 信濃史料刊行会 1969 【N208/28A/15】
p541「是歳」の項p541-542「諏訪社上社、同社本年頭役料ヲ注ス、」 引用書名〔御頭足〕 茅野市高部 守矢眞幸氏所蔵 「天正十年壬午御頭之日記 天下大乱故何も不勤、」と記載があり、各郷毎の役料の掲載がある。(「乱」は旧字体、「勤」は略字で記載あり)
掲載文書の概要として「大乱に依り勤仕ノ者ナシ」と上段に記載がある。
「御頭」とは何か
『県宝守矢文書を読む;中世の史実と歴史が見える』 細田 貴助/著 ほおずき書籍 2003 【N241/167】p113-116「御頭とは何か」によれば「御頭(おんとう(おとう))とは神社の祭祀や仏寺の法会を輪番制に勤仕することをいい、正しくは頭番役あるいは頭役といい、御頭はその略語である(『伊藤冨雄一巻』)」とあり。諏訪上社には四つの御頭があり(その目的は諏訪大明神を祭ること)、中世、御頭は毎年行われ信濃国中の地頭御家人が勤仕しその莫大な費用も負担したとある(御柱祭は七年に一度)。また、四頭のうち三頭は幕府の下知によるものであったという。
- 回答プロセス
-
1 諏訪の歴史に詳しい『諏訪市史』に当たりをつけて関連項目を調査すると天正10、諏訪は戦場になり諏訪大社も焼かれ、御頭も行われなくなったという記載を見つける。
2 1について『信濃史料』を確認する。天正10年最後の「是歳」という項目にこの歳の御頭について記載があり、典拠史料も確認できた。。
3 「御頭」について説明する資料を紹介する。上記の行われなかった祭礼の調査中、古来諏訪大社の筆頭神官、神長であった守谷氏が残した中世文書をまとめた『県宝守谷文書を読む』を調査したところ祭礼の取りやめについての記載は確認できなかったが、御頭について具体的な記載があった。
- 事前調査事項
-
諏訪大社に聞いたが、わかる資料は何も残っていないということだった。
- NDC
-
- 神社.神職 (175 8版)
- 祭祀 (176 8版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 諏訪大社
- 御頭祭
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000230563