レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/05/26
- 登録日時
- 2015/11/19 00:30
- 更新日時
- 2015/11/19 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-150024
- 質問
-
解決
イスラム教域では,アッラー以前(偶像崇拝の禁止以前)に偶像は存在していたか。
- 回答
-
下記資料に記載がありました。 ※【 】内は当館請求記号
資料1 ジョン・ボウカー 編 松村一男 監修『ケンブリッジ世界宗教百科』原書房, 2006【160.33/ケン06X/R】
p.273「イスラーム以前の信仰」の項
「アラブの遊牧民諸部族は、多数の神や精霊を、岩や石などと結びつけて信仰しており、(中略)マッカには、イスラーム以前の宗教の最も重要な建物があった(この建物が、単一部族内にとどまらない強固な結束の維持に役立った)。それは、カアバ(「立方体」の意)と呼ばれる建造物である。(中略)カアバの一隅には、隕石と思われる「黒石」がはめ込まれており、この黒石がマッカに富をもたらした。カアバには360体の偶像が納められていたと言われ、この地方の部族たちの関心の的だったのである。(後略)」
資料2 黒田寿郎 編『イスラーム辞典』東京堂出版, 1983【167/ク1】
pp.127-128 「ジャーヒリーヤ時代(無名時代)」の項に,「一般にはアラビア半島でイスラームが布教される以前の時代をさす。また狭義ではイエスの没後からムハンマドが布教を開始するまでの、預言者不在の時代を意味する。(中略)イスラーム登場以前のアラビア半島では、多神教崇拝や宿命観(マナーヤー)が一般的であった。」とあり,ジャーヒリーヤ時代の偶像神として「マナート」「アル=ウッザー」「アッ=ラート」「フバル」が掲載されています。
pp.128-129 「マナート」の項
「ジャーヒリーヤ時代の偶像神の一つで、運命、殊に死をつかさどる女神。この女神の主神殿は、ムシャッラルと呼ばれる丘の近く、マディーナへの隊商路に当るメッカ寄りのクダイドに祀られた黒石であった。(中略)メッカ征服(六三〇年)ののちクダイドの主神殿は、一説によるとアブー・スフヤーンの手で、他説ではアリーの手で破壊された。」
pp.129-130 「アル=ウッザー」の項
「ジャーヒリーヤ時代の偶像の一つで、女神。その名は「強大、権力」を意味した。彼女の主神殿はターイフからメッカへの通商路沿いのナフラ渓谷にあった。この神殿は三本のアカシアの木で、そのうちの一本にアル=ウッザーが宿っているとされていた。(中略)メッカ征服ののち、ムハンマドはアル=ウッザーの偶像破壊のため、ハーリド・イブヌ=ル=ワリードをその主神殿に派遣した。(後略)」
p.130 「アッ=ラート」の項
「ジャーヒリーヤ時代の偶像。アラビア語で女神の意を持つ固有名詞で、アラブによると太陽の神。(中略)この女神の主神殿はターイフの近くの渓谷にあり、さまざまな飾りで四囲を飾った白い石が、アッ=ラートの象徴とされていた。(中略)メッカ征服ののち、ターイフのアッ=ラート神殿は、そこの神官の親戚に当たるアル=ムギーラの手によりことごとく破壊された。(後略)」
p.130「フバル」
「偶像の名前。ジャーヒリーヤ時代にメッカのカアバ神殿に祀られていた約三百五十体あったという偶像神の一つ。(中略)この偶像神は赤い石でできた男の像で、その右手は黄金で補修されていた。(中略)メッカ占領後、フバルは他の多くの偶像と同様に破壊されている。」
このほか,以下の資料にも記載がみられます。
資料3 中村広治郎『イスラム教入門』岩波書店, 1998【167/ナコ981】
pp.20-30「II イスラム教の歴史」「1 イスラム発祥以前のアラビア」の項
資料4 小杉泰 編 江川ひかり 編『イスラーム』新曜社, 2006【167/コヤ067】
pp.32-37「I 宗教としてのイスラーム」「三つの聖都、四角い館-マッカ、マディーナ、エルサレム」の項
資料5 中田考『イスラームのロジック』講談社, 2001【167/ナコ01Z】
pp.184-186「第四章 預言者ムハマンド」「7 宣教の開始」の項
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- イスラム (167 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- イスラム教
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000184153