残念ながら、質問の内容について、はっきりと記載されている資料は見つからなかった。
以下の資料に、『論語』「顔淵篇」の質問の一節について記載があったので、参考までに紹介した。
(1)『古代中國思想の研究』渡邊卓/著 創文社 1973年
第一部 第二編 第三章 個個の弟子説話
p189~ 司馬牛についての記載の中に、質問の「顔淵篇」でのやりとりが出てくる。
〝その問いは例えば「司馬牛問仁。子曰、仁者其言也訒。曰、其言也訒、斯謂之仁矣乎」に見るように唐突に逆も眞かとただす様式である。師の答にしばられ、一を聞いて、また一の逆を問い返す單純かつ偏執的傾向であるが、孔子の答は直接に司馬牛の盲點をつかず、「爲之難、言之得無訒乎」というように自然にその偏執を解きほごす方向にむかっている。″
等の記述あり。
また、以下の資料に当時の中国の論理学の水準についての記述あり。
(2)『公孫竜子』公孫竜子/原著 天野鎮雄/訳注 明徳出版社 1984年
p9~p42 一 中国古代の論理
p9に“中国の古代思想をささえている論理は、西洋の論理学の立場から言えば、論理と言えないのが多い状態である。仮に『論語』を例にしても、その中にある文章は、不合理であり、普遍性のないものであり、真理となることができないものがあるのを見いだすであろう。”との記述あり。他にも、中国古代人の思考方法等について記述がある。
(3)『古代中国の言語哲学』 浅野裕一/著 岩波書店 2003年
諸子百家の倫理学が紹介されており、当時の論理学的な思考が詳しく解説されている。
(4)『中国人の論理学』加地伸行/著 筑摩書房 2013年
p53~116 第二章 古代中国人の論理学意識