レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/12/07
- 登録日時
- 2014/04/02 00:30
- 更新日時
- 2014/04/03 21:54
- 管理番号
- 6000005332
- 質問
-
解決
「天に命ぜられた聖帝が天下において政治をする」という中国古代の言葉があるらしいのですが、この言葉の元となっている書物は何でしょうか。出典を調べてください。
『周易』を探したところ「天」「聖人」という言葉はありますが、はっきりと「天命により聖人が天下を治める」という文章は見つけられませんでした。
- 回答
-
「天に命ぜられた聖帝が天下において政治をする」という、この言葉どおりの文章は探すことはできませんでした。
以下参考までに関係すると思われる文献等を揚げております。
資料1.では「天命」について
資料2.では孟子が言っている「天命」について
資料4.では『古代中国天命と青銅器 学術選書』で紹介している色々な文献に顕れた「天命」(天が周王に天命を授けた時の出来事、天命に対する周の人々の思いも含む)の例をいくつか記しております。
1.『岩波哲学・思想事典』<103.3/6N>p.1143「天命」によりますと「殷代の甲骨資料では天帝が雨神や風神に”令”して雨を降らせ風を吹かせるかどうかが占われており、そうした考え方を基礎に、其の政治的な側面を強調して、西周時代に確立したのが天命の観念であった。...天帝は周王をみずからの元子(長男)と認知し、その周王に天命を下してこの地上世界の統治を委ねたとされたのである。周王が天下を統治する権限は天からの命令(天命)を背景にしているとされたのであり、また天から元子としての認知を受けているがゆえに、周王は”天子”と名乗ることができた。」とあります。また「天命を受けた王者も徳を失ったとき、元子としての認知を失い、天は別の有徳者を探して、その者に新しく天命を下すとされた。...周王朝が持つ天命も失われてゆくであろうとの危惧が大きくなり、『詩経』などに、そうした心配が表明されている」と書かれています。
2.『論語と孔子の事典』<123.8/17N>p.66に「天命」という項目があり、「『孟子』にこう言う、『之を為すことは莫くして為る者は、天なり。之を致すこと莫くして至る者は命なり」(万章上)--こうしようと思わないのに、そうなっていくのは、天の働きである。招き寄せようと思わないのに、やってくるのは、命の働きである。つまり『天命』は、人知人為を越えた存在の佐用であり、絶対的な存在ともいえるし、俗に運命と言うこともできる。」と書かれています。「莫之為而為者、天也。莫之致而者、命也」『新釈漢文大系 4 孟子』<920/S2/(3)>p.336
3.『孟子のことば MY古典』<123.8/46N>p.56の「易姓革命」に「天の神は人の目には見えないので、天の意思(天命)を受けて、天に代って政治を行う人物を立てその人を天子という。」と書かれていますが、出典は書かれていません。
4.『古代中国天命と青銅器 学術選書』<222/807N>
(1)p.188に「第5章 天命の実態と機能 1.天明授受の儀式」の項目で「天命に対する周の人々の特別な思い入れは『尚書』...たとえば召誥篇には次のように言っている。」とあります。
p.260「嗚呼、皇天上帝、改厥元子、茲大国殷之命、惟王受命、無疆惟休、亦無疆惟恤、嗚呼、曷其奈何弗敬、天既遐終 大邦殷之命、茲殷多先哲王在天、越厥後王後民、茲服厥命、厥終智蔵瘝在、夫知保抱携持厥婦子、以哀籲天、徂厥亡出執、嗚呼、天亦哀于四方民、其眷命用懋、王其疾敬徳....嗚呼、有王雖小、 元子哉、其丕能誠于少民、今休」
上記の訳です。p.188「ああ、皇天上帝はその元子(あと取り息子)を変えられ、かの大国である殷に与えられておられた命を改めて、我が王さまが、[殷に代わって]命を受けられることになりました。これは、限りなくおめでたい事でありますとともに、限りなく心配な事でもあります。ああ、どうして慎重にならずにいてよいものでしょうか....ああ、天も、こうした四方の国々の民たちを哀れに思われて、天下を見渡し、善政を心がけている者に目をつけ、[周王さま]に新しむ命を授けられたのであります。わが王さまには、どうか勉めて徳を大切にしていただきますように。ああ、わが王さま、あなたは年若いとはいえ、天の元子(あと取り息子)なのであります。どうか、身分の低い民たちの心をも和らげてやっていただきますように。[そうしていただけますならば]やがて休(天の恩寵)を受けられることとなりましょう」(『全釈漢文大系 11 尚書』<082/1/11>P346-351にも読み下し文と通釈が書かれています)
(2)p.184に「詩経 大雅 文王篇」の文章が紹介されています。「文王在上、於昭于天 周雖旧邦、 其命維新 有周不顯、帝命不時、文王陟降、在帝左右」「文王は天上にあり、その存在は天に輝いている 周は古い邦ではあるが、その命は常に新しいのだ 周王朝は輝かしく、天帝からの命の揺らぎはない 文王は天地の間を行き来し天帝の左右に侍っている」(『中国の古典 19 詩経 下』<082/2/19>p.315にも読み下し文と訳が書かれています)
(3)p.186-187.に「才四月丙戌、王誥宗小子于京室、曰、昔才爾考公氏克弼文王、肆文王受茲大令、隹武王既克大邑商、則廷告于天、曰、余其宅茲中域、自之乂民」「「四月の丙戌の日に、周王は京室において、周一族の若者たちに対して、次のように告げられた、「むかし、おまえたちの父親たちは、文王さまをよく補佐し、その結果、文王さまは大いなる命を征服されると、”天”において”廷告”をされ、次のように言われた、わたしは国の中央に位置するこの地を中心にして人々を治めてゆきたい、と」(通釈補1.銘文選32)
(4)p.190に「詩経 魯頌の閟宮篇」にも「王曰叔父、建爾元子 俾侯于魯 大啓爾宇 為周室輔、乃命魯侯 俾侯于東 錫之山川 土田附庸」「周王が言った「叔父ぎみよ、あなたの元子を建てて 魯の地の侯となし、大いにあなたの領地を広げ、周の王室の支えとなってもらいたい」と そこで周王は、魯侯に命を下して、東方の地で侯とならせ 山川と土田と附庸の小国とを下賜した。」(『漢詩選 2 詩經 下』<921/38N/2>p.622-624に読み下し文と註釈が掲載されています)
(5)p.191に「大盂鼎」では「隹九月、王才宗周、令盂、王若曰、盂、不顯文王、受天有大令、才武王、嗣文乍邦、闢厥匿、匍有四方、峻正厥民...」「九月のこと、周王は宗周のみやこにあって盂に命を与えた。 王は次のように言われた「盂よ、輝かしき文王さまは、天が持っておられる大いなる命を授かられ、武王さまにあっては、文王さまを引き継がれて、国家の体制を創始して、それまで不遇であった者たちを引き立て四方の国々を領有して、民たちを正しく導かれたのである」
(6)p.192「史牆盤」にも「日古文王、初戻龢于政、上帝降懿徳大 匍有上下、 合受万邦、 素圉武王、譎征四方、 撻殷俊民、永不恐、狄徂微、伐尸童....」「むかしの伝統を大切にされる文王が争いごとのない調和した当時をおこなわれたとき、上帝はすばらしい徳を天から文王に降し、大きく力添えをされて、文王に天と地とを併せ持たせ、一万もの邦々をまとめて授けられたのであった。実行力に富む武王は四方の国々を征服し殷王朝に打撃をあたえ、民たちを正しく導いた。いつまでも安定が保たれるようにと、徂や微を討伐し、夷や僮を征服されたのである。」と書かれています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
-
『周易』を見ています。「天」「聖人」という言葉はありますが、はっきりと「天命により聖人が天下を治める」という文章はみつかりません。
- NDC
-
- 参考図書[レファレンスブック] (103 8版)
- 参考資料
-
- 岩波哲学・思想事典 広松/渉∥[ほか]編集 岩波書店 (1143)
- 古代中国天命と青銅器 小南/一郎∥著 京都大学学術出版会 (184,186-188,190-192,260,)
- 全釈漢文大系 11 全釈漢文大系刊行会∥編集 集英社 (346-351)
- 中国の古典 19 藤堂/明保∥監修 学研 (3156)
- 漢詩選 2 集英社 (622-624)
- 論語と孔子の事典 江連/隆∥著 大修館書店 (66)
- 新釈漢文大系 4 明治書院
- 孟子のことば 加藤/道理∥著 斯文会 (56)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000151738