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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000196565
提供館
(Library)
沖縄県立図書館 (2110045)管理番号
(Control number)
1000000863
事例作成日
(Creation date)
2016/08/24登録日時
(Registration date)
2016年09月03日 00時30分更新日時
(Last update)
2016年09月03日 00時30分
質問
(Question)
戦後に沖縄で発行されていた沖縄ヘラルド(沖縄新聞、沖縄朝日新聞)の成立から廃刊までを知りたい。
回答
(Answer)
沖縄ヘラルド社創立(1949.10)→ 沖縄ヘラルドの創刊(1949.12.12)→ 沖縄新聞に改題(1951.2.1)→ 沖縄朝日新聞に改題(1951.9.17)→ 沖縄新聞に改題(1954.7.1、1957.12競売、1958年新年特集号を発行・広告料集金後自然終刊1958.1頃)


『青い海 第5巻第9号(通巻47号)』(青い海出版社 [編]・刊、1975.10)
p103-115 「戦後沖縄の新聞興亡史 大田昌秀」の論説で、p105-109 「沖縄ヘラルド」の項目がある。
p105-106 「『沖縄ヘラルド』は、戦後四番目の新聞として登場した。この新聞社が設立されたのは、一九四九年一〇月一八日で、社は那覇市楚辺の城岳におかれた。しかし『沖縄ヘラルド』の創刊号が出たのは、約二ヵ月後の一二月十二日であった。…創刊者は、社長・西銘順治、専務・玉城勝信、編集局長・比嘉憲蔵氏らのほか、大城毅、嘉数恒夫らも加わっていた。ほとんどが二〇代の若者だけというのがこの新聞社のきわ立った特色であった。」の記述がある。
p106 「以上のような創刊の趣旨から、『沖縄ヘラルド』は、創刊と同時に毎号「社説」をかかげ、政治・経済・社会のあらゆる問題にわたって熱っぽい論陣をはった。だが、それは社論というより西銘社長の個人的論説とみたほうがよい…」の記述がある。
p108-109 「『沖縄ヘラルド』の西銘社長は、一九五〇年一一月、沖縄群島政府工務局の副部長として政府入りし、後任に具志頭得助氏が就任した。経済的危機にあった同紙は、その後、「共産主義と戦う」という社説をかかげ、創刊者の一人玉城専務の言葉を借りると、「百八十度編集方針を変えた。」…『沖縄ヘラルド』は、編集内容が変わるとともに名称も『沖縄新聞』に改められた(一九五一年二月一日付)。ところが、五一年九月、西銘氏は再び社長に返り咲き、同紙は『沖縄朝日新聞』に改題した(五一年九月一七日)。その後、五四年に、西銘社長は立法院議員に当選したのを契機に社長を辞任、具志頭得助氏が再び後を継ぐと同時に、新聞名も『沖縄新聞』に逆戻り、玉城勝信氏が編集・発行人となった。…五七年二月、同社の社長の椅子は具志頭氏から玉城氏に移り、名実ともに“親米的な新聞”として刊行しつづけた。しかし、以上のような変節のはげしい新聞の歩みが読者に不信感をあたえることは、いうまでもない。けっきょく同紙は読者から見はなされて経営難に陥り、同年一二月、融資元の銀行から競売される破目となった。」の記述がある。


『沖縄の新聞がつぶれる日』(沖縄フリ-ジャ-ナリスト会議 編、月刊沖縄社、1994.4)
見返し「戦後沖縄の新聞の興亡」の表で、「沖縄新聞 54/7/1改題…58年新年特集号を発行・広告料集金後自然終刊」の記述がある。
p130-152 「第一話 社説で売った梁山泊沖縄ヘラルド  西銘順治 元・沖縄ヘラルド社長」の論説がある。
p131 「政党をつくるつもりが新聞になった」の項目がある。
p141 「一九五一年(昭和二六年)二月一日、沖縄ヘラルドが『沖縄新聞』と改題した日、比嘉君が二日がかりで書き上げた日本復帰論が社説として出た。戦後、沖縄新聞界はじめての「日本復帰論」であった。
p141-142 「一方、タイムスと沖縄新聞は、米軍政府から反米新聞とまでは行かなくとも非協力的新聞と目をつけられるようになった。…群島政府を解体させたため、僕は十月に具志頭さんと相談して社長を交替、新聞社に戻り、沖縄朝日新聞と改題した。東京の朝日新聞のように中道左よりを目指したのである。」の記述がある。
p151 「沖縄新聞→沖縄朝日新聞→沖縄新聞とめまぐるしくかわったこの新聞は、やがて編集方針を百八十度転換して新米新聞となり、かって「ヘラルドを読まなければ、一日、尻がおちつかない」といわしめた精彩ある紙面にとって変ってアメリカ万歳の新聞となったが、僕の関知したことではないからここではふれたくない。」の記述がある。
p153-181 「第二話 東京へ高跳びした二人の社長 儀保秀雄 元・沖縄朝日新聞記者」の論説で、沖縄朝日新聞から廃刊に至るまでの記述がある。


『沖縄大観 復刻版』(沖縄朝日新聞社 編、月刊沖縄社、1986.1)
p233-234 「戦後の新聞界」の項目で、p233 「一九四九年十月には沖縄ヘラルド社が発足した。西銘順治氏を社長として創立したのであるが、同氏が沖縄群島政府入りをするに及び、次代社長に具志頭得助氏が就き改題して沖縄新聞と称するようになった。その後、具志頭氏が社長を去るに至り西銘氏が再び迎えられて社長に就任現在に及んでいるが、更に改題して沖縄朝日新聞と呼称している。」の記述がある。


『戦後沖縄の新聞人』(真久田 巧 著、沖縄タイムス社、1999.10)
p19 「一九四九(昭和二十四)年十二月十二日には「沖縄ヘラルド」が創刊される。…五一年二月に「沖縄新聞」、同年九月には「沖縄朝日新聞」、五四(昭和二十九)年には再び「沖縄新聞」に改題、五八(昭和三十三)年ごろ廃刊している。」の記述がある。


『沖縄印刷業発展史』(糸洲 安剛 著、タイムス住宅新聞社、1995.1)
p131 「沖縄ヘラルド」の項目で、「創刊は一九四九年(昭和二十四年)十二月十二日。…その後、同紙は一九五一年二月に『沖縄新聞』、同年九月には『沖縄朝日新聞』、さらに五四年に『沖縄新聞』と改題するなどして発行を続けたが、五八年一月ごろ自然廃刊となった。」の記述がある。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
ジャーナリズム.新聞  (070 8版)
参考資料
(Reference materials)
1 青い海 第5巻第9号(通巻47号) 青い海出版社∥[編] 津野 創一∥編 青い海出版社 1975.10 K05/A52/47 p103-115

2 沖縄の新聞がつぶれる日 沖縄フリ-ジャ-ナリスト会議∥編 月刊沖縄社 1994.4 K07/O52 p130-181

3 沖縄大観 沖縄朝日新聞社∥編 月刊沖縄社 1986.1 K302/O52 p233-234

4 戦後沖縄の新聞人 真久田 巧∥著 沖縄タイムス社 1999.10 K07/MA38 p19

5 沖縄印刷業発展史 糸洲 安剛∥著 タイムス住宅新聞社 1995.1 K74/I91 p131
キーワード
(Keywords)
沖縄 新聞
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000196565解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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