レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年06月17日
- 登録日時
- 2011/06/21 14:17
- 更新日時
- 2011/07/14 08:51
- 管理番号
- 2011C001
- 質問
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解決
徳富蘆花が書いた『竹崎順子』という作品に出てくる荒瀬眼鏡橋が架かっていた場所が知りたい。
荒瀬眼鏡橋は明治33年7月に洪水のため流出しているが、その時代の地図はないだろうか。
- 回答
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・下記資料を紹介し、荒瀬眼鏡橋が架かっていた「杉堂」周辺部分のコピーを提供した。
大日本帝國陸地測量部発行『九州地図五萬分一地形図』のうち
『御船』の地図(明治三十四年測図、大正十五年修正測図、昭和六年部分修正測図・昭和六年九月三十日発行)
・国土地理院Webサイト 「5万、2万5千分1地形図図歴」 のうち「5万分1図名: 熊本」を印刷し、提供した。
- 回答プロセス
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1.質問者が読んだ作品を所蔵資料から探し、内容を確認した。
徳富健次郎『竹崎順子』(福永書店,1923年) 当館請求記号 372.8/To,45 (中央館・書庫(図書))
荒瀬眼鏡橋は文政2年に杉堂の郷士矢嶋彌平次が私財を投じて架けたものであることがわかった。
「第一章 眼鏡橋」に下記の記載あり。
・「肥後、上益城郡、津森村、大字杉堂は」(p.1)
・「以前は此處に眼鏡橋がありましたが、明治三十三年の洪水に流出して、今は木橋が架かつて居ます。」(p.5)
2.『益城町史 通史編』(益城町,1990年) 当館請求記号 219.4 Ma,64 (中央館・第3閲覧室)
「年表」p.1231に「1900(明治33)年7月16日 豪雨により白川緑川御船川菊池川など大洪水」の記載を確認した。
3.国立国会図書館リサーチ・ナビ 「日本の地形図」
http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-honbun-601020.php (最終アクセス日:2011年6月21日)
「関連サイト」の項目に掲載されていた国土地理院「5万、2万5千分1地形図図歴」の存在を確認した。
4.国土地理院Webサイト 「5万、2万5千分1地形図図歴」
http://www.gsi.go.jp/MAP/HISTORY/5-25-index5-25.html (最終アクセス日:2011年6月21日)
国土地理院で保有している地形図の発行年やリスト番号について紹介されている。
5.国土地理院Webサイト 「5万、2万5千分1地形図図歴」 のうち「5万分1図名: 熊本」
http://www.gsi.go.jp/cgi-bin/zureki/5man.cgi?126-8 (最終アクセス日:2011年6月21日)
上記サイトから、熊本の地形図の図歴を確認したところ、5万分1図が明治34年に測図されていることがわかった。
「測図」とは、「地形図の無かった区域を測量して地形図を作成すること。」である。
※サイト内の「用語と記号の説明」より
http://www.gsi.go.jp/MAP/HISTORY/yougo.html (最終アクセス日:2011年6月21日)
6.所蔵資料を探したところ、下記の二つが見つかった。
(地図1)大日本帝國陸地測量部発行『九州地図五萬分一地形図』のうち
『御船』の地図(明治三十四年測図、大正十五年修正測図、昭和六年部分修正測図・昭和六年九月三十日発行)
(地図2)内務省地理調査所発行『五万分一地形図熊本県管内』のうち
『御船』の地図(明治三十四年測図、大正十五年修正測図、昭和六年部分修正測図・昭和二十二年一月三十日発行)
7.明治三十四年以降、地図に修正箇所があることを説明した上で、
発行年が古い方の(地図1)の「杉堂」周辺部分のコピーを提供した。
- 事前調査事項
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・質問者が事前に熊本県立図書館に照会したが、明治時代の地図は所蔵していないという回答を得た。
・明治34(1901)年と平成11(1999)年の熊本市の地図コピーに書き込みを加えたものを質問者が持参し、この地図と類似したものがあれば利用したいとのことだった。
- NDC
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- 九州地方 (219 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 水害
- 熊本県
- 石橋
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000087783