レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年08月06日
- 登録日時
- 2019/08/13 11:59
- 更新日時
- 2019/09/04 18:30
- 管理番号
- 蒲郡-2019-06015-般
- 質問
-
解決
川喜田半泥子(かわきたはんでいし)が作陶を始めたきっかけが、蒲郡の作家にすすめられてという文を読んだ。
藤井達吉現代美術館で開催されていた展示「没後60年 北大路魯山人 古典復興 ―現代陶芸をひらく―」の図録で、川喜田半泥子の紹介文に記載あり。
もう少し詳しい情報があれば知りたい。
- 回答
-
蒲郡の作家は楽焼師「長江寿泉」という人物と思われる。
調べた本やネットに掲載された情報にこの人物が勧めたとは書かれていないが、長江寿泉の設計により窯を作るなどしており「蒲郡の」作家というとこの人物の名前があがる。
なお、『随筆泥仏堂日録』の無茶法師焼物年表によると、半泥子が大正3年寅歳元旦蒲郡常磐館の楽焼釜場で初めての轆轤で砧形の花生を辛じて作る。
その後大正14年7月2日に長江寿泉氏の指図で、勢州千歳山に両口倒焔式の石炭釜を築き、同年12月15日、長江寿泉老が来て初釜を焚く。とある。
「長江寿泉」についてこれ以上のことはわからなかった。
半泥子が蒲郡の常磐館に来ていることが関係ありそうだが、それを確認することはできなかった。
- 回答プロセス
-
蔵書検索:キーワード「川喜田半泥子」→なし
ネットで検索:グーグル キーワード「川喜田半泥子 蒲郡」→
1)長良川画廊 Web書画ミュージアム→彫刻・工芸→川喜田半泥子
http://www.nagaragawagarou.com/visualmuseum/m-handeishi.html
画廊のサイトで川喜田半泥子が紹介されている。長江寿泉の名前あり。次の一文(前後は省略)。
「大正14年(1925)、愛知県蒲郡の楽暁師長江寿泉の設計による両口倒焔式石炭窯を千歳山の茶席松濠庵の脇に作る。
この頃より、本格的に作陶を始める。」
2)関西大学学術リポジトリ
https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=12610&item_no=1&page_id=13&block_id=21
関西大学の紀要論文、「川喜田半泥子の作陶について」西田周平より
『東アジア文化交渉研究』12巻、p.145 - 156、関西大学大学院東アジア文化研究科より出版、2019年3月31日発行
「第二章 半泥子の作陶
半泥子が本格的に作陶を始めたのは大正五、六年のことであったというが、最初は千歳山の陶土を用いて、手捏ねの楽焼を制作する程度であった。しかし、それで満足のいかなかった半泥子は、蒲郡の楽焼師である長江寿泉を招いて、両口倒焔式の石炭窯を築いた。もっともこの窯は、他人に焚かせる方が多かったといい、京都の堀尾竹荘、桑名の加賀月華などの陶工を招いて制作させた。<略>」
3)三重県美術館
美術館 > 刊行物 > 展覧会図録 > 1998 > 川喜田半泥子~その人と芸術~ 森本孝 川喜田半泥子展図録より
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:Le-F052CmlsJ:www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/55281038354.htm+&cd=7&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
関連する箇所
「半泥子は千歳山の土が良い胎土になることを知り,大正初年頃よりこの土を使って楽焼を始めたことを,自ら『泥仏堂日録』などに記述しているが詳しいことはわからない。大正14年(1925)7月愛知県蒲郡の楽暁師長江寿泉の設計による両口倒焔式石炭窯を千歳山の茶席松濠庵の脇に構えるまでの間は,余暇に手びぬりを楽しむ程であった。」
楽焼を調べる
『日本国語大辞典』3巻 p.768
『はじめての楽焼陶芸』野田耕一
作家情報なし
→p・16-17より
楽焼は、安土桃山時代、千利休の注文によって楽家の祖・長次郎が作り出した楽茶碗が始まり。手づくね(手びねり)により成形され、小さな窯で焼かれた。低火度施釉陶器という分類の焼きもの。
郷土資料より
『愛知県人物事典 三河編』なし 昭和34年発行 帝都出版社
『西宝名鑑』なし 1937年 鈴木英夫著/名古屋新聞蒲郡支局
美術名鑑より
『美術家名鑑2010年版』なし 2010(H22)年
→故人・工芸家 陶芸に川喜田半泥子あり。p.704 無所属。実業家。広永陶苑創始。早大。別号泥仏堂他。三重。84.38
相互貸借で関連本を見ることにする。
『おれはろくろのまわるまま』
巻末の年譜に初めて轆轤を使ったことが出ている。場所は蒲郡。
他は長江寿泉の名前は出てくるが、人物についてこれまでわかったこと以上のことはわからない。
巻末の年譜
p.342 大正3年
1月蒲郡常磐館の楽焼窯で、はじめて轆轤を使い砧形花生けをつくる。
p.344 大正14年
7月楽焼師・長江寿泉の設計で、千歳山に両口倒焔式の石炭窯を築く。
12月長江寿泉が来て初釜を焚く。
p.86-87
1925(大正14)年、千歳山の北部、池に面した茶席・松涛庵の脇に、蒲郡の楽焼師・長江寿泉の設計で両口倒焔式の石炭窯を築いた。略
~この窯では自分で焼くよりも、長江寿泉のほか~略
『随筆泥仏堂日録』川喜田半泥子
ISBN:978-4-06-1984707
『おれはろくろのまわるまま』と同じ事柄が書かれている。月だけでなく日にちまで年表でわかった。
無茶法師焼物年表
P.29 大正3年(p.262にも記載あり)
寅歳元旦、蒲郡常磐館の楽焼釜場で、初めての轆轤で砧形の花生を辛じて作る。
大正14年(p.264にも記載あり)
7月2日 長江寿泉氏の指図で、勢州千歳山に両口倒焔式の石炭釜を築く。
同年12月15日、長江寿泉老が来て初釜を焚く。
『川喜多半泥子 無茶の芸』
P/35に長江寿泉の名前はあるが、「蒲郡の」とは記載なし。
「1925(大正14年)、半泥子は、千歳山の北部に長江寿泉の設計で石炭窯を築いた。48歳であった。~略~千歳山の土を使い、長江寿泉からもらった唐津釉をかけ、~略」
なお、P.34にこのときの作品「初音」の白黒写真あり。
- 事前調査事項
-
藤井達吉現代美術館で開催されていた展示「没後60年 北大路魯山人 古典復興 ―現代陶芸をひらく―」
展示期間 2019年4月27日(土曜日)~6月9日(日曜日)
- NDC
-
- 陶磁工芸 (751)
- 参考資料
-
-
千早耿一郎 著 , 千早, 耿一郎, 1922-. おれはろくろのまわるまま : 評伝・川喜田半泥子. 日本経済新聞社, 1988.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001932068-00 , ISBN 4532094631 -
川喜田半泥子 [著] , 川喜田, 半泥子. 随筆泥仏堂日録. 講談社, 2007. (講談社文芸文庫, [かU1])
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I001412728-00 , ISBN 9784061984707 -
千早耿一郎, 龍泉寺由佳 共著 , 千早, 耿一郎, 1922- , 龍泉寺, 由佳. 川喜田半泥子無茶の芸. 二玄社, 2007.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008478737-00 , ISBN 9784544200058 -
野田耕一 著 , 野田, 耕一, 1968-. はじめての楽焼陶芸 : 気軽に楽しくやきものづくり. 誠文堂新光社, 2004.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007491599-00 , ISBN 4416804342 -
日本国語大辞典第二版編集委員会, 小学館国語辞典編集部 編 , 小学館. 日本国語大辞典 第3巻 第2版. 小学館, 2001.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002987787-00 , ISBN 4095210036
-
千早耿一郎 著 , 千早, 耿一郎, 1922-. おれはろくろのまわるまま : 評伝・川喜田半泥子. 日本経済新聞社, 1988.
- キーワード
-
- 川喜田半泥子
- 焼き物
- 楽焼
- 蒲郡
- 長江寿泉
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000260132