レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年10月03日
- 登録日時
- 2013/07/16 00:30
- 更新日時
- 2013/07/18 15:30
- 管理番号
- 2013.06-03
- 質問
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解決
マリリン・モンローが新婚旅行で来日した際、福岡のレストラン「ロイヤル」に来店したエピソードについて知りたい。
- 回答
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『私の履歴書 経済人35』(日本経済新聞社/編 日本経済新聞社 2004) p.34 …①
ロイヤルの創業者・江頭匡一の自叙伝の中で、1954年にマリリン・モンローが来店した際の様子が次のように書かれている。
女優のマリリン・モンローと大リーグ、ヤンキースの大打者、ディマジオが新婚旅行と米軍基地の慰問を兼ね福岡を訪れた。店を気に入ってくれた二人は、滞在中の三日間連続、ディナーに来店した。(中略)モンローは、オニオングラタンスープが大変気に入り、毎日注文してくれた。
『毎日新聞 2005年2月13日朝刊』 福岡版23面 連載「還暦の戦後 外食産業・上」 …②
外食産業史の中での逸話として、同様のエピソードを紹介している。モンローが福岡市を訪れた日は1954(昭和29)年2月8日とある。
現在の店内の写真の中に、モンローとディマジオが写った当時の写真も飾られている。
『九州王国 2011年9月号』(エー・アール・ティ株式会社) p.38 …③
モンローが食事をしたロイヤル中洲本店(現レストラン花の木)について、次のように紹介している。
現在は大濠公園会館に移転しているが、店内には彼女が使用した椅子とテーブルで食事をすることができる特別室がある。(中略)事前に予約すればモンローが食したオニオングラタンスープも味わえる。
特別室の写真も掲載。
『財界九州 2005年2月号』(財界九州社) p.196-197 …④
ロイヤル来店時にモンローとディマジオが味わったメニューの詳細が紹介されている。その後の二人についても、次のように言及している。
この日本への新婚旅行中、モンローへの熱狂的な歓迎とあまりの人気にディマジオは気分を害し、二人の間に修復しがたい溝が生じる不仲の発端となり、9カ月後の別居、離婚へとつながっていったのは、なんとも皮肉なことであった。(中略)
1962(昭和37)年8月5日、彼女はロサンゼルス近郊の自宅で死去。(中略)享年36歳、遺体は離婚後も彼女への愛を失うことがなかったディマジオが引き取って葬り、生涯にわたって墓参りを欠かすことがなかったという。
- 回答プロセス
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自館のレファレンス履歴から、ロイヤル創業者の江頭匡一について①と②の資料があるとわかり、確認したところ質問のエピソードについても記述があった。
福岡県立図書館ホームページの郷土雑誌記事索引で「マリリン・モンロー」をキーワードに検索し、③と④の資料がわかった。
Google ブックスでの検索で、
『ファミレスは進化する!』(梅谷羊次/著 商業界 2010)p.15 と
『江頭匡一に叱られて:レストランを産業化させた日本の外食王』(梅谷羊次/著 商業界 2012)p.17 にも
このエピソードが取り上げられていることがわかったが、当館未所蔵のため未確認。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 商業経営.商店 (673)
- 参考資料
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- 『私の履歴書 経済人35』(日本経済新聞社/編 日本経済新聞社 2004) p.34
- 『毎日新聞 2005年2月13日朝刊』 福岡版23面
- 『九州王国 2011年9月号』(エー・アール・ティ株式会社) p.38
- 『財界九州 2005年2月号』(財界九州社) p.196-197
- キーワード
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- マリリン・モンロー
- ジョー・ディマジオ
- ロイヤル
- 花の木
- 福岡県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000133762