レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年11月17日
- 登録日時
- 2019/02/24 20:41
- 更新日時
- 2019/03/27 17:45
- 管理番号
- 名古屋市熱-2018-005
- 質問
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解決
明治元年の明治天皇東幸の折、尾張の東海道八丁畷で農事天覧後、農民に下賜された御幸饅頭について知りたい。
- 回答
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もち米の粥を麹で発酵させて造った甘酒の搾り汁に小麦粉を入れて作った皮で大納言小豆の漉し餡を包み、蒸籠で蒸して菊紋の焼印を押したものです。
将来の治民経国の政体を深慮し、明治天皇が沿道農民綏撫(すいぶ)のため、当時熱田神宮南門前にあったつくは祢屋に約3000個発注したものです。
- 回答プロセス
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1『愛知県聖蹟誌』第1巻p.28に「天覧終りて農事を務めたる農民に菊の焼印を捺したる饅頭を給はれり。」「此饅頭は大膳職が熱田曾福女の菓子職つくはね屋方に出頭して特に調製せしものなり」とあります。『愛知郡誌』p.40、『愛知県史』第3巻p.640に同様の記述があります。(資料1、2、3)
2『新修名古屋市史』第4巻p.868に「熱田の布瀑女町(曽福女町)菓子商つくは祢屋において、京都の御用菓子商黒川家・川畑家の指導のもとで菊饅頭約3000個が制作され、村民に配られた。」とあります。(備考参照、資料4)
3『明治の光輝~明治百五十年記念展』p.42に、つくは祢屋蔵の「明治維新史料編纂に関する書類」がカラーで掲載されています。
「御幸饅頭 製作順序 御幸饅頭の製法は麹元にして糯米の粥を焚きて麹を混入し一夜を保留暖包し醗酵せしめて翌朝是れを搾り其液汁を以て小麦粉を捜れて皮となし大納言小豆の漉餡を包み烙籠に入れて膨張せしを蒸籠に移して蒸上げる成。世上旧来の麹元饅頭と異るなし。菊花御紋章烙印は大膳職御在の器具にしてご使用済の後還納せしを以て当家に形体を留めず」とあります。
なお、「捜」は「挿」の誤記と思われます。
p.40,41には、「明治天皇収穫叡覧図(森村宜稲画)熱田神宮蔵」「明治天皇覧穫之図(小田切春陵画)つくは祢屋蔵」が掲載されています。(資料5)
4『名古屋の街道をゆく』p.42-44に八丁畷の農事天覧の趣旨と概要が載っており、『新修名古屋市史』第4巻の記述を元にしています。饅頭2000個とあるのは3000個の誤りではないかと考えられます。(資料6)
5 『宮の昔ばなし』p.28-30に天覧農作業体験者から聞き取った話が掲載されているが、御幸饅頭の記述はありません。(資料7)
- 事前調査事項
- NDC
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- 食品.料理 (596 9版)
- 中部地方 (215 9版)
- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 参考資料
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愛知県 編 , 愛知県. 愛知県聖蹟誌 巻1. 愛知県, 1919.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001512930-00 (資料1) -
愛知郡 (愛知県). 愛知郡誌. 愛知県郷土資料刊行会.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001213452-00 (資料2) -
愛知県郷土資料刊行会. 愛知県史 第3巻. 愛知県郷土資料刊行会, 1981.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001516621-00 (資料3) -
新修名古屋市史編集委員会 , 新修名古屋市史資料編編集委員会 , 新修名古屋市史編集委員会 , 新修名古屋市史資料編編集委員会. 新修名古屋市史 第4巻. 名古屋市, 1997.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I045507995-00 , ISBN 4990059654 (資料4) -
熱田神宮 (名古屋市). 明治の光輝 : 明治百五十年記念展 : 秋季企画展. 熱田神宮宮庁, 2018.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I029299625-00 (資料5) -
沢井鈴一 著 , 沢井, 鈴一, 1940-. 名古屋の街道をゆく. 堀川文化を伝える会, 2010.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011072097-00 (資料6) -
松田史世/著 , 松田史世. 宮の昔ばなし. 松田史世, 2002.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I026090766-00 (資料7)
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愛知県 編 , 愛知県. 愛知県聖蹟誌 巻1. 愛知県, 1919.
- キーワード
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- 御幸饅頭
- 明治天皇
- 八丁畷
- 農事天覧
- 覧穫
- 照会先
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- 熱田神宮宝物館(文化部)
- 寄与者
- 備考
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・布瀑女町は市場町布瀑女(そぶくめ)のことです。『名古屋市居住者全図 昭和4年』では熱田神宮南門前に「つくは祢屋」が確認できますが、現在、神宮南門駐車場の南側植栽になっています。
・明治神宮外苑の聖徳記念絵画館の壁画「農民収穫御覧」(森村宜稲画)に、天皇の乗り物「鳳輦」の前に唐櫃に山積みされた饅頭が描かれており、明治神宮崇敬会がインターネット上で解説しています。http://sukeikai.meijijingu.or.jp/meijitenno/1911.html(2019.2.24最終確認)。同じ画家による熱田神宮蔵の「明治天皇収穫叡覧図」や、徳川美術館 https://www.tokugawa-art-museum.jp/exhibits/planned/2018/0417/(2019年2月24日最終確認)所蔵の「明治天皇覧獲之図」もほぼ同じ構図です。
これらに対し、小田切春江(『愛知県聖蹟誌』第1巻挿絵)や、小田切春陵(つくは祢屋蔵『明治の光輝~明治百五十年記念展』所収)の描いた絵には饅頭が描かれていません。
・『明治の光輝~明治百五十年記念展』p.42掲載の「森村宜稲書簡」には、3000個全部を鳳輦の前に唐櫃の蓋を仰向けにして置いた事、農夫には大人1人25個、子どもには1人5個が配られたことを、天覧当時16歳だった78歳の宗七氏から聴取した旨が書かれています。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000252101