レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年02月21日
- 登録日時
- 2013/03/12 16:39
- 更新日時
- 2013/07/09 10:48
- 管理番号
- 埼熊-2012-265
- 質問
-
未解決
『史談会速記録 合本28』p215文中にあがっている新聞記事を見たい。
以下該当箇所の引用
「寺師君(宗徳)過日御通知書に記しました通り、榎本六兵衛君の報効事件に付きまして、其の令息の榎本六輔君が出席でございます、其の大要は数日前の新聞紙に載って居りますから、御覧の方もありませうが、尚ほ直接皆さん方のお聴きを願ひ度いといふ御希望でございます、
榎本君(六輔)只今寺師君から申上げました維新の當時父六兵衛の国家に(後略)」
- 回答
-
所蔵している新聞等を調査したが、該当すると思われる新聞記事は見つからなかった。
回答プロセスの調査経過を報告した。
情報提供により以下の記事が見つかった。 (2013/07/09追記)
榎本六兵衛贈位の申請 「史談會にては義商榎本六兵衛氏が國家に貢献せし功勞に對し贈位の申請を爲す由・・・」『東京朝日新聞 明治40(1907)年11月3日 東京 朝刊 4頁 5段』
- 回答プロセス
-
質問の出典を確認
『史談会速記録 合本28』(史談会編 原書房 1973)
p215質問で引用されている記述あり。これはp212からの「山田武八郎速記 明治40年11月16日午后3時一同着席榎本六輔君隣席」とされている速記録の一部。印刷内容と上記記述に相違なし。本文には「大要は数日前の新聞紙に載って居りますから」としか記載されておらず、どの新聞かの特定はできなかった。明治期の新聞を調査
『新聞集成明治編年史 15 全巻索引』(財政経済学会 1972)
p53〈榎本六兵衛〉の項あり。「②23・378」
p314〈大黑屋六兵衛〉の項あり。「②144」
『新聞集成明治編年史 2 民論勃興期』(中山泰昌編著 本邦書籍 1982)
p23〈保任会設立広告〉に「榎本六兵衛」の記載あり。(明6.3.25東京日日)
p144〈巨商大賈首つ引〉に「大黑屋六兵衛」の記載あり。(明7.3.22新聞雑誌)
p378〈老舗大六の閉店〉に「榎本六兵衛」の記載あり。(明8.8.15郵便報知)
明治40年11月に絞って調査 全て該当記事なし。
『新聞集成明治編年史』の明治40年11月の記事を見る
『明治ニュース事典 総索引』(毎日コミュニケーションズ出版部編集 毎日コミュニケーションズ 1986)
〈榎本六兵衛〉〈大黑屋六兵衛〉なし。
年代別索引 明治40年11月を確認する。
『都新聞明治期記事・人物索引』(柏書房編集部編 柏書房 2000)
『毎日新聞マイクロ版索引 明治5年-昭和38年』(毎日新聞社 1966)ピックアップされた重要記事の索引。
『毎日新聞マイクロ版索引 明治5年-昭和43年』(毎日新聞社 1969)
『東京二六新聞 37 明治40年10月-12月』(不二出版 1995)復刻版のタイトル「復刻版 ニ六新報」
明治40年11月1日から16日を確認する。
『万朝報 自5070号(明治40年10月)至5151号(明治40年12月)』(日本図書センター 1987)
明治40年11月1日から16日を確認する。
『朝日新聞マイクロ版』明治40年11月10日から15日。
読売新聞《ヨミダス歴史館》の記事検索
検索期間 明治40年10月1日-11月16日検索キーワード〈榎本六兵衛〉〈大黒屋六兵衛〉〈六兵衛〉〈大黒屋〉で検索するが、該当の記事はヒットせず。
『毎日新聞マイクロフィルム』(『東京日日新聞』) 明治40年11月1日から16日の確認《WHO PLUS》〈榎本六兵衛〉の項はなし。(〈畠山勇子〉の項に名がでてくるのみ)
その他調査済み資料
『明治時代史大辞典 1』(吉川弘文館 2012)
『幕末動乱の記録 「史談会」速記録 桃源選書』(八木昇編 桃源社 1965)
『官報目次総覧 3 自明治36年11月至明治45年7月』(文化図書 1984)
《Googlebooks》の検索
『日本政治史 2 明治維新』(信夫清三郎著 南窓社 1978)
巻末の索引〈榎本六兵衛〉からp163 (明治元)1868ころの記述。榎本六兵衛が御用金二万両を差し出し、太政官名の賞状を受けた旨記述あり。(新聞記事ではない)
『史談会速記録 合本28』p215-217の榎本六輔発言内容と合致する。
p240 1869-1870ころの記述。榎本六兵衛が貨幣鋳造に尽力した旨の記述あり。(新聞記事ではない)
〈榎本六兵衛 & 新聞〉で検索した結果から
『明治文学全集 99 明治文学回顧録集』(筑摩書房 1980)
p130「沼波氏の著書中、勇子の叔父榎本江六兵衛のことに就いて書いてあったが、六兵衛のことは「新聞の解剖」と云ふ雑誌に相当詳しく記述されてゐたと記憶する。」との記述あり。
前後や巻末を見るが、この「新聞の解剖」の手がかりは見つからず。
《NDL-OPAC》《Nacsis Webcat》《Webcat Plus》を〈新聞の解剖〉で検索するが、雑誌の「新聞の解剖」の手掛かりは得られず。
『明治ニュース事典 総索引』を〈畠山勇子〉で検索した結果『明治ニュース事典 4 明21-24』
明24(1891).5.24東京日日「京都府庁前で、遺書を残して婦人が自殺」の見出しの記事の遺書に「伯父榎本六兵衛儀、先年中より政府に向けて出願致したる儀これあり候えば、未だ御取り上げこれなきや(略)」あり。
CD-ROM『明治の読売新聞 索引』〈榎本六兵衛〉3件あり。
「畠山勇子の伯父榎本六兵衛が2万両献金で太政官から受けた賞状」(明24.6.6 朝刊3)
六兵衛の姪〈畠山勇子〉に関する図書
『大津事件の烈女畠山勇子 伝記・畠山勇子』(沼波武夫著 大空社 1995)
p69-97「義商榎本六兵衛」の章あり。質問の新聞記事につながる情報は見つからず。没年月日はp96に「明治30年6月23日」とあり。「享年54」
p173「私が今度勇子を調べて、六兵衛に逢着して驚いたと同じやうに、史談会も勇子を知って六兵衛に及び、明治41年11月16日榎本六助氏を招いて六兵衛の事蹟を話して貰ひ、その速記を「史談速記録第191輯」に発表した。」とあり。
人名事典から
『新聞に見る人物大事典 戦前編』(大空社 1994)〈榎本六兵衛〉〈大黒屋六兵衛〉いずれも項目なし。
『幕末明治人物研究文献目録』(日外アソシエーツ株式会社編 日外アソシエーツ 2010)
《Google》を〈新聞 & 大黒屋六兵衛 & 洋行〉で検索した結果から
『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞社編 朝日新聞社 1994)
p184〈井上勝〉(いのうえまさる)(明治時代の鉄道官僚。長州藩士の家に生まれる)洋行費を大黒屋六兵衛に立て替えてもらった旨の記述あり。
『鉄道事始め 井上勝伝』(上田広著 井上勝伝復刻委員会 1993)
p33に大黒屋六兵衛の番頭佐藤貞次郎の名が見える。p35引用されている陳情書に「伊豆倉(大黒屋のこと)」という記述あり。《Google》を〈伊豆倉 & 新聞〉〈伊豆倉商店〉で検索した結果から
伊豆倉商店は大黒屋の横浜支店。貿易会社ということがわかる。
『新聞集成明治編年史 15 全巻総索引』(前出)を〈伊豆倉〉で調査するが該当項目なし。
『明治ニュース事典 総索引』(前出)を〈伊豆倉〉で調査するが該当項目なし。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (071 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 榎本 六兵衛(エノモト ロクベイ)
- 大黒屋
- 史談会
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000128787