レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年08月22日
- 登録日時
- 2013/08/22 22:26
- 更新日時
- 2013/08/22 22:34
- 管理番号
- 20130822-1
- 質問
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解決
浄瑠璃寺について知りたい。
- 回答
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浄瑠璃寺(じょうるりじ) Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)]
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%B5%84%E7%91%A0%E7%92%83%E5%AF%BA/ (2013/08/22確認)
京都府木津川(きづがわ)市加茂町西小(かもちょうにしお)にある真言律宗の寺。小田原山(おだわらさん)法雲院と号し、通称九品寺(くほんじ)、九体寺(くたいじ)ともいう。・・・
浄瑠璃寺 【じょうるりじ】
http://kotobank.jp/word/%E6%B5%84%E7%91%A0%E7%92%83%E5%AF%BA (2013/08/22確認)
世界大百科事典 第2版じょうるりじ【浄瑠璃寺】京都府相楽郡加茂町にある真言律宗の寺。小田原山法雲院と号す。本尊阿弥陀如来像。本堂に9体の阿弥陀如来を安置するので,九品(くほん)寺とも,九体(くたい)寺ともいう。境内は広潤で幽邃の景勝地で,大門を入ると眼前に阿字池が広がる。この阿字池を挟んで三重塔と本堂の阿弥陀堂が東西に相対し,平安後期の貴族社会に盛行した阿弥陀浄土信仰の描く理想境をいまにしのばせている。739年(天平11)聖武天皇の勅願を奉じた行基の開創とか,天元年間(978‐983)多田満仲の創建ともいうが,いま一つ確かでない。
じょうるりじ【浄瑠璃寺】 国史大辞典京都府相楽郡加茂町西小に所在。真言律宗。小田原山法雲院と号し、九品(くほん)寺・九体寺の通称がある。当尾の山中霊場に建立され、古く西小田原寺といった。行基・多田満仲の開創伝承がある。『浄瑠璃寺流記事』によると、永承二年(一〇四七)本願義明・檀那阿知山大夫重頼により本堂が建立され、嘉承二年(一一〇七)解体、本尊薬師如来は西堂に移され、新本堂が建立された。同堂も保元二年(一一五七)、阿字池の西岸に移されたが、このころ、九体の弥陀が安置され、同信仰の導入が認められる。久安六年(一一五〇)、興福寺一乗院恵信が、当寺延観の草庵、岩本常光院に隠遁して以来、一乗院の祈願所となり、十万堂の建立、三重塔の移建など、鎌倉時代にかけ、寺観おおいに整った。康永二年(一三四三)、南大門から出火、十万堂などが焼失したが、本堂・三重塔などは難を遁れた。藤原時代流行した阿弥陀の浄土信仰の形式を強く残している寺として著名である。[参考文献]『大和古寺大観』七、村山修一『浄土教芸術と弥陀信仰』(『日本歴史新書』)
じょうるりじ【浄瑠璃寺】京都府:相楽郡/加茂町/南当尾村 日本歴史地名大系京都府:相楽郡 > 加茂町 > 南当尾村 > 浄瑠璃寺[現]加茂町西小加茂町南部の当尾(とうのお)の山中、奈良県境近くにある。小田原山法雲院と号し、真言律宗。本尊は阿弥陀如来。九体の阿弥陀如来を安置することから九品(くほん)寺とも九体(くたい)寺とも称される。北大門を入ると左手に鐘楼が立ち、眼前に阿字池がせまる。池の中央に弁財天を祀る中島がある。この阿字池を挟んで西に本堂の阿弥陀堂が東面し、東に三重塔が西面している。藤原時代に流行した阿弥陀浄土信仰の形式を残す唯一の寺。庭園は国指定特別名勝・史跡。〈京都・山城寺院神社大事典〉
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 浄瑠璃寺
- 小田原山法雲院
- 九品寺(くほんじ)
- 九体寺(くたいじ)
- 真言律宗
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000136207